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尿前の地名の由来に、義経伝説!
宮城県を代表する温泉地である「鳴子温泉郷」は、古くから国境で交通の要所として栄えてきましたが、そんな街道沿いの要所として重要な役割を担ったのが、温泉街に程近い、こんもりした林の中にある、『尿前の関』(しとまえのせき)です。
「尿前」と書いて、「しとまえ」とは、なかなか読めない地名ですが、この地名の由来にはいくつかの説があります。
NHKの大河ドラマでも登場した、「源義経」一行が、平泉に落ちて行った際に、義経の奥方が生んだ「亀若丸」が、はじめてこの尿前で小便をした・・・ということからこの名がついたとする説や、逆に産後ままもない奥方が、腹痛からこの地で尿をされた・・・という説など、いくつかの説がありますが、どれも字のごとく、尿に関するものです。
そしてここでも「義経伝説」が登場するのですが、すぐ近くにも、義経が休憩のために腰掛けたと伝わる松があったり・・・と、日本全国、本当に義経伝説が数多く存在することを改めて感じます。
芭蕉が苦労した尿前の関
わたしが、この尿前の関の名を知ったのは、1689年に、あの「奥の細道」で有名な「松尾芭蕉」が、この尿前の関で厳しい取り調べを受け、関所を抜けるのに苦労したというお話からでした。
この尿前の関は、仙台藩が交通の要所であった「出羽街道」に設けた関所でした。
芭蕉一行は、尾花沢への旅路の途中に、急遽道のりを変更して、鳴子経由で、この尿前の関を通ることとなりました。
その際、急遽道のりを変更した為、「通行手形」が無いまま、この尿前の関を通らなければならなくなり、なかなか事情を説明しても信じてもらえなかった・・・という記述が、今に残っています。
「入り鉄砲に出女」でよく知られる箱根の関所などに比べて、この尿前の関がどの程度厳しかったかは?ですが、いずれにせよ、よそ者であった芭蕉一行が、通行手形無しで、この関所を抜けようとしたということは、相当困難なことだったと察しがつきます。
やはり「ばり」か?
現在この尿前の関には、尿前の関の看板と、跡地としての囲いや、芭蕉の像、「蚤虱 馬の尿する 枕もと」(のみしらみ うまのばり <しと> する まくらもと)の句碑などが建っています。
この「蚤虱馬の〜」の一句は、「尿」を「ばり」と読むか「しと」と読むかで、説が分かれています。
古くからいろいろと論議を呼んでいる一句で、芭蕉の句の中でも、違った意味で有名な句のひとつとなっていますが、近年の芭蕉直筆の書のふりがなの発見などから、長い間親しまれていた「しと」ではなく、「ばり」説が有力となってきています。
個人的には、きれいな表現である「しと」よりは、豪快な「ばり」の方が、馬らしく面白みがあるような気がしますが、この句に興味のある方は、奥の細道の句集に関する解説本でも読んでみてください。
そんな尿前の関は、本当に「こんもり」という言葉がピッタリの林の中で、街道をはさんだ向かいの林の中にも、いくつかの石碑が建っています。
尿前の関は、訪れてみて、特にコレといって何があるわけではないのですが、薄暗い樹木に囲まれた林の中に立っていると、こういう道を進んでいったんだなぁ〜と、なんとなく、奥の細道の雰囲気がわかる・・・、そんな感じの場所です。
現在は、国道が、昔の街道筋とは違った場所を走ることもあり、通りの少ない道となったこの場所が、余計こんな旅路だったのかなぁ〜という想いを起こさせます。
尿前の関、鳴子温泉にお泊りの際には、朝の散歩がてら、ちょこっと足をのばして立ち寄ってみて下さい。
| ■ 尿前の関 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
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こんもりした林の中に、なんとなく漂う「尿前の関」の空気を感じてみてください!
事前に、奥の細道に関する知識を身につけてから訪れると、より楽しめるのでは・・・ |
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