宮城県旅行観光ガイド『尿前の関
尿前の関 Vol . 63
尿前の関
(宮城県 大崎市)
‐ Miyagi ‐
宮城
Presented By 星★聖
尿前の関(宮城 鳴子)
国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』 > 尿前の関 尿前の関をご覧になるにあたって
尿前の関の評価
尿前の関の評価
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■ 尿前の関とは?

 鳴子温泉近くの、宮城県大崎市の旧出羽街道沿いにある、伊達藩の尿前境目番所の跡。1689年に「奥の細道」で有名な松尾芭蕉が、旅路の途中にこの尿前の関で、通行手形が無いことにより厳しい取り調べを受けたことでも知られるところで、この地で詠んだ「蚤虱 馬の尿する 枕もと」の句も有名。芭蕉像や句碑などが建つ。
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おすすめシーズン
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
こんもりした林の中に、なんとなく漂う史跡の空気を感じてみてください!
芭蕉の句碑を見落とさないように! 句は裏面だからね!
事前に奥の細道に関する知識を身につけてから訪れるとより楽しめるよ!
~ 尿前の関 編 ~ 温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)
尿前の関の見所
尿前の関 松尾芭蕉 石碑
尿前の関 松尾芭蕉 石碑
間口約73m、奥行き約80m、面積が約1760坪もあったという尿前の関。切石垣の上に設けられた土塀で囲まれ、長屋門や役宅など10棟の建物があった。 1689年に、岩出山で一宿した芭蕉一行は、尾花沢までの旅路を急遽変更したため、鳴子経由にてこの尿前の関にさしかかった。 尿前の関に建つ石碑には、芭蕉一行がこの尿前の関を通過するのに苦労した経緯と、この地で詠んだ句が記されている。
芭蕉一行も苦労した関所 伊達藩の尿前境目番所の跡 史跡らしい雰囲気
芭蕉一行も苦労した関所 伊達藩の尿前境目番所の跡 史跡らしい雰囲気
芭蕉一行は、旅路の途中に急遽道のりを変更したため、通行手形を持たずにこの尿前の関を通ることとなり、通るのが難儀だったと記している。 出羽街道に設けられた伊達藩の尿前境目番所があった場所で、奥の細道にも登場するように、とても厳しい取り締まりが行われていた場所として知られている。 尿前の関の門をくぐり石段を降りた所には、芭蕉像や石碑以外特に何もないが、特別観光化されていないところが、妙に史跡らしく感じる。
街道と関所 芭蕉の句碑 蚤虱 馬の尿する 枕もと
街道と関所 芭蕉の句碑 蚤虱 馬の尿する 枕もと
関所の無い場所を通ればよいのに…と簡単に思ってしまうが、GPSも地図も目標物も無い時代に、街道をそれ山に入ることがいかに危険かがよくわかる。 芭蕉の句碑の案内の文字は目立つが、一瞬どこにあるの?と迷う。林の中には正面に祠らしきものがあり、その手前に自然石に刻まれた芭蕉の句碑が建つ。 近づくと句碑の正面には大きく「芭蕉翁」の文字があり、一瞬句碑?と思うが、裏面に「蚤虱 馬の尿する 枕もと」の句が刻まれている。
尿前の関の地図
基本情報
■名称:尿前の関
■読み方:しとまえのせき
■ホームページ:
■所在地:宮城県大崎市鳴子温泉尿前170
■問合せ:0229-82-2102(鳴子温泉郷観光協会)
観光情報
宮城県グルメ情報
星★聖の名勝・史跡探訪記 『尿前の関』 編

尿前の地名の由来に、義経伝説!

宮城県を代表する温泉地である「鳴子温泉郷」は、古くから国境で交通の要所として栄えてきましたが、そんな街道沿いの要所として重要な役割を担ったのが、温泉街に程近い、こんもりした林の中にある、『尿前の関』(しとまえのせき)です。

かつて伊達藩の尿前境目番所があった場所で、間口約73m、奥行き約80m、面積が約1760坪もあったという尿前の関は、切石垣の上に設けられた土塀で囲まれ、長屋門や187坪の役宅に土蔵など、10棟の建物が建てられていました。

「尿前」と書いて、「しとまえ」とは、なかなか読めない地名ですが、この地名の由来にはいくつかの説があります。

NHKの大河ドラマでも登場した、源義経一行が、平泉に落ちて行った際に、義経の奥方が生んだ亀若丸が、はじめてこの尿前で小便をした・・・ということからこの名がついたとする説や、逆に産後ままもない奥方が、腹痛からこの地で尿をされた・・・という説など、いくつかの説がありますが、どれも字のごとく、尿に関するものです。

そしてここでも義経伝説が登場するのですが、すぐ近くにも、義経が休憩のために腰掛けたと伝わる松があったり・・・と、日本全国、本当に義経伝説が数多く存在することを改めて感じます。


芭蕉が苦労した尿前の関

わたしが、この尿前の関の名を知ったのは、1689年に、あの「奥の細道」で有名な松尾芭蕉が、この尿前の関で厳しい取り調べを受け、関所を抜けるのに苦労したというお話からでした。

この尿前の関は、仙台藩が交通の要所であった出羽街道に設けた関所でした。

芭蕉一行は、尾花沢への旅路の途中に、急遽道のりを変更して、鳴子経由で、この尿前の関を通ることとなりました。

その際、急遽道のりを変更した為、通行手形が無いまま、この尿前の関を通らなければならなくなり、なかなか事情を説明しても信じてもらえなかった・・・という記述が、今に残っています。

入り鉄砲に出女」でよく知られる箱根の関所などに比べて、この尿前の関がどの程度厳しかったかは?ですが、いずれにせよ、よそ者であった芭蕉一行が、通行手形無しで、この関所を抜けようとしたということは、相当困難なことだったと察しがつきます。


やはり「ばり」か?

現在この尿前の関には、尿前の関の看板と、跡地としての囲いや、芭蕉の像、「蚤虱 馬の尿する 枕もと」(のみしらみ うまのばり <しと> する まくらもと)の句碑などが建っています。

この「蚤虱馬の~」の一句は、「尿」を「ばり」と読むか「しと」と読むかで、説が分かれています。

古くからいろいろと論議を呼んでいる一句で、芭蕉の句の中でも、違った意味で有名な句のひとつとなっていますが、近年の芭蕉直筆の書のふりがなの発見などから、長い間親しまれていた「しと」ではなく、「ばり」説が有力となってきています。

個人的には、きれいな表現である「しと」よりは、豪快な「ばり」の方が、馬らしく面白みがあるような気がしますが、この句に興味のある方は、奥の細道の句集に関する解説本でも読んでみてください。

そんな尿前の関は、本当に「こんもり」という言葉がピッタリの林の中で、街道をはさんだ向かいの林の中にも、いくつかの石碑が建っています。

尿前の関は、訪れてみて、特にコレといって何があるわけではないのですが、薄暗い樹木に囲まれた林の中に立っていると、こういう道を進んでいったんだなぁ~と、なんとなく、奥の細道の雰囲気がわかる・・・、そんな感じの場所です。

現在は、国道が、昔の街道筋とは違った場所を走ることもあり、通りの少ない道となったこの場所が、余計こんな旅路だったのかなぁ~という想いを起こさせます。

尿前の関、鳴子温泉にお泊りの際には、朝の散歩がてら、ちょこっと足をのばして立ち寄ってみて下さい。
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