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奈良県旅行観光ガイド『平城宮跡』 |
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Vol . 64 |
平城宮跡 |
(奈良県 奈良市) |
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‐ Nara ‐ |
奈良 |
Presented By 星★聖 |
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平城宮跡(奈良 佐紀路) |
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■国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』
> 平城宮跡 |
平城宮跡をご覧になるにあたって |
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■ 平城宮跡とは?
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奈良県奈良市の佐紀路のルート上にある、奈良時代の都であった東西約4.3km、南北約4.8kmあった平城京の北部中央に位置し、東西約1.3km、南北約1kmの東側に張り出し部をもつ大内裏の跡。
中央正面の南端には朱雀門が建ち、そこから平城京のメインストリートであった、幅74mで約4kmにも及ぶ朱雀大路が伸び、その南端には羅城門があった。
1998年12月に、「古都奈良の文化財」の一部として、東大寺や興福寺、薬師寺、唐招提寺などとともに、世界文化遺産に登録されている。 |
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おすすめシーズン |
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朱雀大路から朱雀門を抜け、朝堂院、第一次大極殿と歩いてみよう!
離れていても、遺構展示館、東院庭園、平城宮跡資料館には寄るべし!
第二大極殿跡に立って平城宮跡を見渡すと古代ロマンが溢れるよ! |
~ 平城宮跡 編 ~ |
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基本情報 |
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■名称:平城宮跡 |
■読み方:へいじょうきゅうせき |
■ホームページ:平城宮跡 奈良文化財研究所 |
■所在地:奈良県奈良市佐紀町 |
■問合せ:0742-27-8945(奈良県公園緑地課) |
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『平城宮跡』 編 |
今に残る平城宮跡
忘れたくても忘れられないゴロ合わせ、「なんと大きな平城京」で有名な、「平城京」(へいぜいきょう・へいじょうきょう)の中心地だったところが、この 『平城宮跡』(へいじょうきゅうせき)です。
平城京は、710年に、飛鳥地方にある「藤原京」より都が移された場所で、途中で一時期、「恭仁京」(くにきょう)や「紫香楽宮」(しがらきのみや)などに、都が移った時期もありましたが、784年に「長岡京」へ遷都されるまでの間、奈良時代の日本の政治の中心地として栄えた場所でした。
この平城京跡をはじめとして、かつての政治の中心地であった宮の跡を訪れるたびに、よく現代において、その場所が特定できたものだ・・・と、史跡や文献、発掘技術のすばらしさに、つくづく感心するばかりです。
今の国会議事堂や総理大臣官邸なども、1000年の後、果たしてこうして残されているのだろうか・・・?などと思うと、決して歴史は過去のものではない・・・ということを、この平城宮跡を前にして、改めて思うしだいです。
羅城門と羅生門
東西約4.3km、南北約4.8kmだった平城京は、北東に「外京」(げきょう)といわれる出っ張り部分を持つ、特殊な形をしていました。
平城京は、南北に走る幅74mの、メインストリートである「朱雀大路」(すざくおおじ)を挟んで、西側が「右京」(うきょう)、東側が「左京」(さきょう)となっており、唐の都「長安」をモデルに造られたとされています。
多くの都がそうであるように、この平城京も、東西南北、碁盤の目のように区画された「条坊制」(じょうぼうせい)を採用しており、120m四方を1つの単位として区画構成され、整然とした町並みの中に、多くの庶民が住んでいました。
メインストリートである約4kmにも及ぶ一本道である朱雀大路の南端が、平城京の入口にあたる正門 「羅城門」(らじょうもん)であり、突き当りが平城宮の入口となる「朱雀門」でした。
ちなみに、「芥川龍之介」の不朽の名作である「羅生門」は、字も「生」と「城」で違えば、場所もここ平城京ではなく、京都の「平安京」の羅城門を舞台にしたお話となっています。
発掘と復元が進む平城宮
平城宮の正門にあたるのが、青空に朱色の復元建築物が映える朱雀門です。
この朱雀門は、平城宮跡の大平原にそびえており、遠くからもその姿が望めることなどもあり、現在の平城宮跡にあっては、シンボル的な存在となっています。
夜にはライトアップもされるこの朱雀門は、間口約25m、奥行約10m、高さ約22mという、二層の立派な門で、常時衛士が警備を行い、外国使節の送迎などが、この朱雀門で執り行われたとされています。
この朱雀門の先に広がる平城宮は、東西約1.3km、南北約1kmで、その大きさは120万㎡あまりと、東京ドーム26個分に相当する広さを有していました。
平城宮内には、政治や儀式を行う場である「大極殿」(だいごくでん)や、天皇が住まわれる「内裏」(だいり)などがありました。
この平城宮跡は、現在、「古都奈良の文化財」の一部として、「東大寺」などとともに、1998年に、「世界文化遺産」に登録され、遺構の保存とともに、現在も発掘と復元が進んでいます。
過去には、近鉄の車庫にする計画や、国道のバイパス建設計画などにより、その存在が危ぶまれた時期もありましたが、現在は、国の独立法人である「奈良文化財研究所」により、発掘作業とともに保存・復元作業が行われています。
平城宮跡敷地内には、平城宮跡の現在に至るまでの発掘の歴史や、今後の発掘・復元作業などがわかる、「平城宮跡資料館」や、どのようにして発掘調査が行われたかがリアルに学べる、「遺構展示館」などがあります。
平城宮についての、様々な資料や発掘物、模型の展示、そしてボランティアによる平城宮跡についての詳しい解説などが聞け、平城宮、平城京、さらには奈良時代の文化についても、いろいろと学べるようになっています。
他にも、東南の角には、宴会などが行われたとされる「東院庭園」(とういんていえん)があり、奈良時代の美しい庭園が再現されています。
こちらにも足を伸ばしてみてください。
平城遷都1300年祭で甦った、古都奈良の都
わたしが初めてこの平城宮跡を訪れたのは、世界遺産に登録されるよりもずっと昔で、礎石と大極殿の跡が、形どられているだけの頃でした。
最初に訪れた時の印象は、広大な原っぱという感じで、多くの家族連れで賑わい、平城宮跡のだだっ広い草原のあちこちで、駆け回る子供達の声が聞かれる・・・、そんな憩いの場所でした。
それから10余年の時を経て、この地を訪れた時には、平城宮の入口に、朱色が眩い朱雀門が復元されており、その延長線上の近鉄の線路を超えた遠方に、巨大な「第一次大極殿」が再建されつつあり驚かされました。
わたしの記憶の中には、1つしかなかった大極殿跡がもう一つあったことにも驚かされましたが、ただの原っぱがこんな姿で甦りつつあることに、歴史のロマンを感じつつ心躍りました。
それからさらに数年の時が流れ、2010年、平城遷都1300年という節目に、ついに巨大な第一次大極殿が甦り姿を現しました。一時期遷都により都が移動した際に、大極殿が取り壊されたため2つあるこの平城宮跡ですが、朱雀門の延長線上にあるこの第一次大極殿の姿は、実に爽快なものです。
前回訪れた際に、見るからに大掛かりな工事に胸を膨らませていましたが、この大極殿が完成し、平城宮の姿がよりリアルに感じられるようになりました。
平城遷都1300年祭のイベントに合わせ周囲が整備され、昔に比べちょっと古のロマン感は薄れてしまい、ちょっぴり寂しい気もしましたが、それでも現代において、平安京や長岡京などの古都の姿が無い中で、一部ではあれ平城京の中心地である平城宮の姿が、実物大で甦り体感できるということは、とてもロマンを感じるものです。
平城京の発掘調査は、まだ半分も終わっていないと言われており、これからもまだまだ歴史を覆すような新しい発見があるのかもしれません。
以前、この広大な平原である平城宮跡に立派な大極殿が建ち、その大極殿に立って、平城宮、そして古都奈良の都を見渡した時、どんな想いがするのか・・・と、このページに書き込みましたが、2010年を迎えこの地に立った感想は、さらに平城宮に胸を膨らますものでした。
平城遷都1300年を節目に、この平城宮跡の整備は、一応一区切りとなるようですが、まだまだ新しい発見が続く平城宮跡の魅力は増すばかりです。
みなさんも、そんなタイムスリップできる古都奈良の都、平城宮跡を、その目で眺めてみませんか。 |
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