福岡県旅行観光ガイド『金印公園
金印公園 Vol . 65
金印公園
(福岡県 福岡市)
‐ Fukuoka ‐
福岡
Presented By 星★聖
金印公園(福岡 志賀島)
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金印公園の評価
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■ 金印公園とは?

 福岡県の博多湾の先の玄界灘に浮かぶ志賀島にある公園で、国宝である「漢委奴国王」の金印が発見された地であることを刻んだ石碑がある公園。公園にある方位広場からは、博多湾に浮かぶ能古島や福岡の市街地が望める。
 江戸時代の1784年に発見された金印は、1978年までは旧筑前藩の藩主である黒田家に保存されていたが、現在は福岡市博物館に保存展示されている。
 
金印公園のPR
おすすめシーズン
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
日本の夜明けをイメージして古代ロマンの世界を訪れてみよう!
せっかく金印公園まで来たのだから、帰りは志賀島を一周して帰ろう!
金印公園を訪れたら、福岡市博物館で実物も見てみよう!
~ 金印公園 編 ~ 温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)
金印公園の見所
海の中道 方位広場 能古島
海の中道 方位広場 能古島
福岡のリゾート地でもある、全長約8 km、最大幅約2.5kmの巨大な砂州の海の中道。その先にある志賀島橋にて、志賀島は陸続きとなっている。 この地を中心にした地図で、日本をとりまく国々を示している。単純なことながら、見慣れたものと異なり、逆さまに見る日本地図は新鮮だ。 前方には博多湾に浮かぶ能古島が見える。市営の渡船により、わずか10分で島に渡れるため、身近な行楽地として福岡市民に人気。
金印の碑 漢委奴国王 福岡市博物館にある金印
金印の碑 漢委奴国王 福岡市博物館にある金印
「漢委奴国王金印発光之処」と刻まれた金印の碑。志賀島の名を一躍有名にした金印の発見は、江戸時代の1784年のことだった。 正方形で一辺が2.3cm、厚さ0.8cm、重さ108.7gである金印には、三行に渡って「漢委奴国王」が刻まれている。写真は押印された文字を示している。 1978年に福岡市博物館に寄贈されるまでは、歴史を覆すような発見物がなんと個人宅である旧藩主の黒田家に保存されていたという。
金印公園の地図
基本情報
■名称:金印公園
■読み方:きんいんこうえん
■関係ホームページ:福岡市博物館
■所在地:福岡県福岡市東区志賀島1865
■問合せ:092-711-4331(福岡市観光振興課)
観光情報
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『金印公園』 編

古代ロマンの地、志賀島

今まで何気なく通り過ぎていた場所や、田舎ののどかな田園地帯が、ある日突然、発掘により彗星の如く歴史の表舞台に登場することは、過去に幾度と無くありましたが、そんな日本の歴史舞台に、ふとしたことから登場することとなったのが、この福岡市にある志賀島です。

博多湾越しに、福岡の市街地を望むこの志賀島は、その名が知られている海の中道の先に位置し、砂洲でかろうじて陸続きとなっている島で、現在は志賀島橋によって結ばれています。

夏は時計回りに一方通行になるというこの志賀島は、周囲約12km、面積約5.8k㎡(東京ドーム124個分)、人口2000人余りという島で、夏の海水浴や、釣りなどのレジャーで賑わう島です。

もともとこの志賀島は、「万葉集」などの詩に詠まれたり、蒙古襲来の元寇や、 「古事記」・「日本書紀」に登場する海の守り神、「綿津見(わたつみ)の神の伝説」などで、その名が知られていました。

しかしながら、なんといっても多くの方が、この志賀島の名前を知っているのは、日本史の教科書や参考書において、具体的な年号が登場することでは、最初となっているケースが多い、あの有名な国宝の「金印」が発見された島ということからではないでしょうか。

なぜこの志賀島の一角で見つかったのかは、未だ謎とされていますが、古い文献や言い伝えなどから、金印が出土したと思われる場所を記念してつくられたのが、この志賀島南部にある、『金印公園』です。


真の発見者は・・・、秀治と喜平!

志賀島の名を一躍有名にした、この金印が発見されたのは、江戸時代1784年で、旧暦2月23日(現在の4月12日)のことでした。

田んぼを耕している時に、2人がかりでかつぐような大きな石があり、その石の下からこの金印が出土したと、当時の記録には記されています。

金印の発見者は、一般的には届出人である、志賀島のお百姓さんである甚兵衛(じんべえ)とされています。

わたしが大学受験時に覚えた日本史の参考書なども、みな甚兵衛の名が登場していました。

しかしながら、志賀島の古刹に残る記録や、当時の史料である「志賀島小幅」などには、秀治喜平という名が登場しており、現在では、この2人が真の発見者ではないか・・・とされています。

甚兵衛は、田の所有者で届出人であり、秀治と喜平は、その小作人・奉公人などであったのではないか?とされています。

そんな金印が発見された田んぼが、どの辺であったのか?・・・というのが研究されだしたのは、大正時代に入ってからで、多くの文献や言い伝えなどにより、ひとりの考古学者中山平次郎氏が、ひとつの場所を推定しました。

それが、1922年に建てられた金印公園入口に建つ、「漢委奴国王金印発光之処」の石碑から博多湾より右前方とされています。

漢委奴国王

現在、この「漢委奴国王」の金印は、福岡市博物館に保存されています。

1978年に、福岡市博物館に寄贈されるまでは、旧筑前藩の藩主であった黒田家に、代々保存されていました。

ちょっと前まで、個人が所有していたということにも驚かされますが、正方形で一辺が2.3cm、厚さ0.8cm、重さ108.7gのこの金印は、つまむ部分が蛇をかたどったものとなっており、「漢委奴国王」の文字が、3行に分かれて刻まれています。

金印の読み方には、いくつかの説がありますが、一般的には「漢の倭<委>の奴の国王」(かんのわのなのこくおう)と読まれています。

これは、王朝名-部族名-民族名-格付けを表しているとされ、中国の文献である「後漢書」の倭伝の記述などから、57年に、後漢の「光武帝」が、弥生時代に福岡地方の小国であったとされる奴国の王に、この印綬を与えたとされています。

この国宝の金印を見てみたい!という方は、福岡市博物館を訪れてみてください。


ただそれだけ、されど・・・金印公園

そんな金印が見つかったとされる場所である金印公園は、志賀島の周回道路から、階段を上ったところにあります。

入口の「漢委奴国王金印発光之処」の石碑を横目に、階段を上っていくと、金印をかたどった金印の碑があり、この場所が金印発見の地であることが明記されています。

その先の園内には、方位広場展望所などがありますが、金印自体は、上記のように、福岡市博物館にありますので、この金印公園内には、それ以上のものも無ければ、以下のものも無く、金印が発見された場所ということ以外、特に目新しいものはありません。

そういう意味では、ここを訪れるということは、ある意味歴史上にさんさんと輝く重要発見であった、金印発見の地に立つということだけかもしれません。

しかしながら、高台から望む博多湾の眺めの先に、古代ロマンを感じる時、何ともいえない訪れてみてよかった・・・という気持ちがわいてきます。

日本史の年表を開く時、57年の記述は、今でもどこか日本の夜明けを感じさせる出来事であり、そんな意味でも、この金印公園を訪れるということは、言葉にできないものを感じさせます。

この57年の記述が、具体的な年号としてトップを飾っている間は、この想いは消えないように思えます。

知識としてではなく、一度は訪ねてみたくなる地であり、訪れてみて、どこかほっとするところでもあり、博多湾を眺めていると、不思議とすがすがしい気分にもなってきます。

夜になると、ここならではの夜景が見れるとのことで、夜訪れる方も少なくないという金印公園ですが、古代ロマンを感じつつ、あなたも博多湾を眺めに、この金印公園を訪れてみませんか。
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