奈良県観光ガイド東大寺

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Vol . 56

東大寺

Nara

奈良県

5つ星評価

Todai-ji Temple

東大寺

Presented By 星★聖

東大寺(奈良 奈良公園)

東大寺をご覧の皆様へ

東大寺とうだいじとは?

奈良県奈良市の奈良公園内にある、法隆寺と並び奈良を代表する寺院であり、1998年に『古都奈良の文化財』として、春日大社薬師寺唐招提寺などとともに世界文化遺産に登録された、南都七大寺のひとつで華厳宗の大本山。

聖武天皇の発願により創建され、良弁により開かれたお寺で、745年より制作が始まり、752年に開眼供養が行われた御本尊の盧舎那仏は、「奈良の大仏」として日本で最も有名な大仏となっている。

運慶・快慶らによる金剛力士像が安置されている「南大門」や、お水取りで知られ『日本の夕陽百選』の舞台となる「二月堂」、天平仏の宝庫と言われる「法華堂」、日本三戒壇のひとつである「戒壇院」、良弁の肖像を安置する「開山堂」など、見事な伽藍を見せている。

この他にも、日本三名鐘と言われる「鐘楼」や、二度の戦火を逃れ創建時の姿を留める「転害門」、現在は宮内庁管理となっているが、1875年まで東大寺の倉庫だった「正倉院」など見所が多く、2011年には「東大寺ミュージアム」も境内に造られている。

東大寺の見所

世界遺産碑

世界遺産碑

『古都奈良の文化財』として、興福寺や春日大社薬師寺唐招提寺元興寺平城宮跡などとともに、1998年に世界文化遺産に登録された。

国宝の東大寺南大門

国宝の東大寺南大門

鎌倉時代の1203年に重源により再建された、歴史を感じさせる色合いが印象的な重層入母屋造で天竺様式の門。日本一ではないが、見上げるとバカでかい。

金剛力士像

金剛力士像

教科書にも登場する最も有名な高さ8.4mの金剛力士像。口を開けた阿形は運慶・快慶、閉ざした吽形は定覚・湛慶らの作。見上げる前提の短足5頭身だ!

三代目の大仏殿

三代目の大仏殿

金堂にあたる大仏殿。創建時は高さ約40mで和様、鎌倉時代のニ代目と、現在の江戸時代の1709年に建造された三代目が天竺様。

鏡池に映る大仏殿

鏡池に映る大仏殿

東大寺の大仏殿を望む定番スポット。鏡池に映る大仏殿の眺めは、奈良観光の名所のひとつとなっており、外せない撮影スポットだ。

大仏池から望む大仏殿

大仏池から望む大仏殿

東大寺にある2つの池のひとつで、意外に知られていないスポット。紅葉が美しく、池越しに臨む大仏殿の眺めは、どこか懐かしさが漂う奈良らしい風景だ。

東大寺盧舎那仏坐像

東大寺盧舎那仏坐像

855年に地震で首がもげるという惨事があり、その後も兵火に見舞われた大仏。腰が鎌倉時代、上半身が安土桃山時代、頭部は江戸時代に修復されたもの。

東大寺の御本尊

東大寺の御本尊

御本尊の大仏の周りをぐるっと周りながら眺めると、光背の凄さにも驚かされる。771年に遅れて建てられたこの大仏光背には、16体の化仏がおられる。

広目天像

広目天像

大仏殿内の広目天。大仏ばかりに目がいき、あまり注目されず立ち止まる人は少ないが、単体で見れば素晴らしい仏像だ。同様に多聞天像も!

無理して潜らぬように!

無理して潜らぬように!

大仏の鼻の穴と同じ大きさとも言われる穴は、くぐることで厄除けになったり賢くなれるとか。一方で鬼門にあり穴から悪い気を抜いているとも…。

金銅八角燈籠

金銅八角燈籠

大仏殿前に建つ高さ4.6m 重さ3.3tの国宝の灯籠。創建時のもので、火袋の羽目板には音声菩薩や唐獅子の浮彫文様が施されている天平芸術の逸品。

国の天然記念物の鹿

国の天然記念物の鹿

奈良公園と言えば鹿。どこへ行っても鹿に出会う。意外かもしれないが、この鹿たちは国の天然記念物で、野生であり放し飼いではない。

戒壇堂

戒壇堂

鑑真が754年に築いた戒壇で、日本初の戒壇。福岡県の観世音寺、栃木県の薬師寺とともに日本三戒壇で、天下の三戒壇と言われる。

猫段

猫段

この石段で転ぶと"猫"になってしまうという言い伝えがある、恐ろしい石段だ。伝説とはいえ、意識し過ぎて緊張して転ばぬように!

日本三名鐘

日本三名鐘

大鐘家の川邊家が代々夜8時のみ、鐘座を外し下を打つ。鐘座を打ったら鳴り過ぎて、三日三晩鳴り止まなかったとの伝説かららしい。確かに撞木が低い…

二月堂

二月堂

奈良時代の創建で、焼失後江戸時代に再建された国宝のお堂。お水取りで知られる「修二会」の舞台となるお堂であり、『日本の夕陽百選』の舞台でもある。

法華堂(三月堂)

法華堂(三月堂)

個人的に東大寺で一番好きなお堂だ。不空羂索観音像も素晴らしいが、何より仏像の配置が◎。金剛力士像が堂内に居るのも珍しく、しかも裸でない!

正倉院

正倉院

フェンス越しに遠くからしか眺められないが、それでもログハウス的な工法である校倉造りの特徴的な佇まいは見る者を魅了する。現在は宮内庁管理。

東大寺ミュージアム

東大寺ミュージアム

2011年10月にオープンした、境内の東大寺総合文化センター内にある免震構造の美術館。仏像だけでなく、東大寺の歴史や役割などについても学べる。

転害門

転害門

1180年の平重衡による南都焼討や、1567年の三好・松永氏による東大寺大仏殿の戦いの戦火を逃れた、高さ10.635mの東大寺で唯一の天平時代の遺構。

鼓阪小のムササビ少年!?

鼓阪小のムササビ少年!?

転害門横にある立派な屋根瓦の歴史ある鼓阪小学校に、ムササビの剥製が展示してある。これを捕まえ当時ムササビ少年と言われたのが、"明石家さんま"さん!

星★聖のここがポイント!

大仏殿では、大仏だけに気を取られないよう!

盧舎那仏の光背や台座の蓮弁、広目天など堂内の他の仏像にも注目しよう!

法華堂を見ずして帰るべからず!

天平仏の宝庫であり、国宝の宝庫。堂内の仏像の配置がこれまた素晴らしい!

丸一日かけて東大寺の素晴らしさを満喫しよう!

南大門に二月堂、八角灯篭や日本三名鐘・日本三戒壇など見所が多い。転害門や正倉院へも行こう!

東大寺 編

国内旅行業務管理者・温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)の署名画像です 星★聖(ほし たかし)のイラストです

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1月  2月  3月修二会 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月 
名称 東大寺
読み方 とうだいじ
宗派 華厳宗けごんしゅう
郵便番号 〒630-8211
所在地 奈良県 奈良市 雑司町406-1
最寄り駅 近鉄奈良線:近鉄奈良駅(徒歩18分)
バス停 奈良交通:東大寺大仏殿・春日大社前 / 東大寺大仏殿
お問合せ 0742-22-5511
公式HP 東大寺
参考HP 奈良市観光協会
参考HP なら旅ネット
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東大寺のカテゴリー

寺院・お堂 夕陽 世界遺産

東大寺の地図

星★聖の名勝・史跡探訪記

東大寺 探訪記

古都奈良の文化財

奈良の都 平城京の東にあって、『古都奈良の文化財』として、興福寺や春日大社薬師寺唐招提寺元興寺平城宮跡などとともに、1998年に世界文化遺産に登録されたのが、ここ 「東大寺」です。野生のシカと鹿せんべいで知られる奈良公園に位置し、修学旅行生や国内外の多くの観光客で常に賑わう、奈良を代表する観光地となっています。

近くには、校倉造あぜくらづくりの高床式倉庫で有名な、もともと東大寺の倉庫であった「正倉院しょうそういん」や「興福寺」「奈良国立博物館」「奈良県立美術館」などがあります。

奈良の文化を今に伝える多くの寺社が集まり、古都奈良の都の香りが今も漂うこの土地は、歴史好きならずとも興味がわく、ロマン溢れる一大文化圏となっています。


都の東の大寺だから東大寺

東大寺の起こりは、728年に時の聖武天皇が、皇太子であった基親王もといしんのうの菩提を弔うために建てた、「金鐘山寺きんしょうさんじ」が始まりと言われています。その後、741年に『国分寺・国分尼寺建立の詔』が発せられたのを期に、大和国分寺として「金光明寺きんこうみょうじ」と改称されました。

743年に大仏を造るべく『盧舎那大仏造立の詔るしゃなだいぶつぞうりゅうのみことのり』が発せられると、745年より大仏の造営が始まり749年に完成、752年4月開眼供養会かいげんくようえが営まれました。

当初大仏は、「紫香楽宮しがらきのみや」で造立すべく準備が進められていたようですが、地震・火災などの天変地異が起こり都が平城京に移ったのを期に、今の奈良東大寺の地に大仏造立も変更となりました。そしてその頃から、平城京の都の東に建つ大寺おおてらということで、"東の大寺"と呼ばれるようになり、やがて東大寺になったと言われています。


実は日本一じゃない大仏!

東大寺は、華厳宗けごんしゅうの大本山であり、盧舎那仏るしゃなぶつをご本尊とする大規模な伽藍が特徴です。

この華厳宗の教主である盧舎那仏は法身仏であり、真の教えを仏の姿として表現したものです。釈迦如来しゃかにょらいがこの世で説いた教えそのものがカタチとなったものであり、宇宙から太陽のように世界を照らし人々を導く仏として広く一般に信仰されてきました。

奈良の大仏の造営には、当時の日本の人口の半数以上である260万人が関わったとされており、実に壮大な国家事業であったことが、当時の文献からうかがい知れます。

現在の大仏は、752年4月の開眼供養会以来、855年に地震にて大仏の首がもげるという惨事があり、その後も度重なる兵火に見舞われたため、腰からお尻にかけてが鎌倉時代、両手から上半身が安土桃山時代、頭部が江戸時代に修復されたものとなっています。1000年以上の時を経ているわけですから、その間の歴史的背景を考えれば当たり前のこととは言え、パッと見ではなんらそのようなことを感じさせない修復技術のすばらしさもまた特筆ものです。

大仏の高さは14.98mで、中指の長さが1.08m、耳の丈が2.54mという、遠くから眺めるとよくわかりませんが、実に巨大なものとなっています。毎年夏のお盆前に行われる、大仏様のほこりを払う行事である「お身ぬぐい」のニュースを見て、改めて大仏の大きさを感じる方も多いかと思いますが、実はこの東大寺の大仏は、日本一の大きさというわけではありません。

あまりにも有名で、多くの方が実際に目にしている大仏ということから勘違いされている方も多いようですが、日本一の大仏は茨城県の「牛久大仏」で、高さ120mと桁違いのバカでかさとなっています。しかしながら立像のため、東大寺のように座っている大仏となると、千葉県の鋸山にある「日本寺」の大仏が、石仏ながら高さ31.05mで一番大きな大仏となっています。


天竺様の三代目大仏殿

そんな東大寺の大仏を、雨風から守っているのが「金堂」にあたる大仏殿で、形を変えながら現在のもので三代目の大仏殿となっています。奈良時代の創建時の大仏殿は、高さ約40m(46m説もあり)で、和様だったと言われています。しかしながら1180年に、平重衡たいらのしげひらの軍勢による「南都焼討」にあい、大仏殿をはじめとした多くの伽藍が焼失してしまいました。

ニ代目の大仏殿は、鎌倉時代に入った1195年に、重源ちょうげんらにより築かれました。その大きさは創建時のものとほぼ同じだったとみられていますが、この大仏殿の様式は和様ではなく今と同じ天竺様であったと言われています。しかしながらまたもや、1567年の三好氏と松永氏の争いである「東大寺大仏殿の戦い」にて、大仏殿を含む多くの伽藍が焼失してしまいました。ちなみに、かつては松永久秀の放火による悪行とされていましたが、現在では戦中の不慮の失火という見方が強くなっています。

それ以後しばらく大仏殿は再建されなかったのですが、江戸時代に入った1709年に、公慶こうけいらによって再度建立され、それが三代目となる現在の大仏殿となっています。二代目と同じ天竺様の現在の大仏殿は、幅が2/3に縮小されたものの、間口57.5m 奥行50.5m 高さ49.1m(現状 間口57.01m 奥行50.48m 高さ48.74mになっているとも…)と、明治と昭和に二度の大掛かりな修理が施されながら現在に至っています。

2/3に縮小されてこの大きさですので、いかに当時の日本の木造建築技術が優れていたか改めて驚かされますが、実は木造建造物としては今尚世界最大級の規模を誇るものの、前述の通り世界一の木造建築物でも日本一の木造建築物でもありません。

日本一の木造建築物は、秋田県にある「大館樹海ドーム」で、178m×157mという卵型のドーム形状で、その高さは52mあります。世界一の木造建築物は、アメリカのオレゴン州にある旧飛行船格納庫というのが専門家の見解で、その大きさは間口90.2m 奥行304.8m 高さ51.8mと、明らかに東大寺の大仏殿より大きいようです。最近では、スペインの「メトロポール・パラソル」を、世界一の木造建築物として挙げる人もいます。

また大仏殿としても、福井県にある「清大寺」の大仏殿が高さ52.12mとなっており、少なくとも東大寺の大仏殿よりは大きいようです。ただし木造建築の大仏殿ということであれば、東大寺が世界一となるようです。


人だかりのそのワケは?

そんな東大寺大仏殿の中に、ちょっと変わったものがあります。大仏殿に入ると、大仏さまの背後の一角に人だかりが出来ていることに気付きます。

時折り子供達の歓声や、大きな拍手が沸き起こるこの人の輪の中心には、この大仏殿を支える柱の一つがあり、その下方に1つの穴が開いています。

昔からこの大仏殿の柱に開いた穴をくぐると、賢くなれるとか厄除けになるなどの言い伝えがあり、次から次にチャレンジする人達や、それを見守る人々で周囲が賑わいます。

一説によると、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴だとされており、この穴はくぐることで目から鼻に抜けるということになり、"機転が利く賢い子に育つ!"と言われています。またこの柱が大仏殿の鬼門の方角に位置することから、この穴で悪い気を抜いているとも言われています。

いずれにせよ悪いことではなさそうなので、通り抜けられる自信のある方はチャレンジしてみてください。くれぐれも途中ではまらないように、勢いだけで乗せられてやらないように気をつけて下さい!


重厚感のある国宝 南大門

東大寺は大仏があまりにも有名なため、すっかり影が薄くなってしまっていますが、忘れてならないのが東大寺の正門であり、国宝にもなっている「南大門」です。重厚感あふれる造りで、実にどっしりとした東大寺にふさわしい門構えとなっています。

重層入母屋造りで天竺様式のこの東大寺南大門は、高さが25.46mあり、日本一の三門か!?と思いきや、これまた「清大寺」の大門が高さ29.1mあり日本一のようです。ちなみに東本願寺の御影堂門も26.89mあり、立派な三門で知られる知恩院は24m、南禅寺は22mとなっています。

大仏殿が三代目なのに対し、見るからに歴史を感じさせるこの南大門は、南都焼討後の鎌倉時代の再建時のものであり、二代目の大仏殿の大きさや仕様に合わせ造られたであろうこの門の眺めは、先代の大仏殿の大きさを連想させます。

そしてこの東大寺南大門には、歴史の教科書でお馴染みの、あの運慶・快慶らによる作とされる、国宝の「金剛力士像」が、左右に納められています。一見同じように見える仁王像ですが、向かって左の阿形あぎょうは口を大きく開けており、右の吽形うんぎょうは口を閉じています。

この阿形・吽形は2体とも高さ8.4mという大きさで、これだけの力作でありながら同時進行でわずか69日で造られたと言われています。そして1988年に初めて解体修理が行われた時に、今までの歴史を覆す発見があり、阿形のみ運慶・快慶らの作で、吽形は、定覚じょうかく湛慶たんけいらの作だということがわかりました。それまでは、運慶・快慶がそれぞれ一体づつ指揮して造ったという説が一般的でしたし、私も授業でそう習っていたので驚きました。

しかしながら一体を十数人がかりで、69日で造りあげたということに変わりはなく、その仕事の早さと、見れば見る程すばらしいこの出来栄えには驚くばかりです。そこらのお堂に納めるものならまだしも、日本の中心であった都の、しかも日本一になる東大寺南大門に納める仏像を、天下に名だたる仏師達が妥協してつくりあげたとは到底考えにくく、運慶・快慶らの技量の程に感服するしだいです。

特に下から見上げることを前提に、視線の角度まで計算して、顔や上半身を大きく短足の五等身としているところなど、さすがとしか言えません。是非ともその点にも注目して、金剛力士像を見上げてみてください!


日本三戒壇

東大寺には、他にも有名な建築物がいくつかありますが、その1つが、「戒壇堂かいだんどう」です。戒壇堂とは、出家して僧侶となるものが、僧として守るべき戒律を授けられる場所です。

東大寺の戒壇堂は、あの遣唐使や唐招提寺で有名な、鑑真和上がんじんわじょうを招いて、755年に創建されたもので、奈良時代の最高傑作と言われる、塑像そぞうの国宝「四天王立像」も納められています。

正しい仏法を日本に説くべく日本に渡ることを決意するも、10年間に5回も渡航に失敗し、失明までしてしまった鑑真のお話は有名ですが、その鑑真は、この東大寺の戒壇堂をはじめ「日本三戒壇」と言われる下野の「薬師寺戒壇院」と、太宰府の「観世音寺戒壇院」も創建されました。

この他、東大寺には、「修二会しゅにえ」のお水取りで有名な「二月堂」や、天平仏の宝庫と言われる「法華堂(三月堂)」、良弁の肖像を安置する「開山堂」、日本三名鐘と言われる「鐘楼」、二度の戦火を逃れ創建時の姿を留める「転害門てがいもん」等々、たくさんの建築物があります。また現在は宮内庁が管理していますが、1875年までは東大寺の倉庫だった「正倉院」もあり、2011年には「東大寺ミュージアム」も境内に造られています。

今まで一度も奈良の都に足を踏み入れたことが無い方はもちろんのこと、修学旅行以来久しく東大寺を訪れていないという方も、世界遺産である古都奈良の文化財に触れるべく、日本一のスケールを誇るお寺である奈良東大寺へ、是非足を運んでみてください。テレビや雑誌では、この大きさは感じられませんよ!