北海道旅行観光ガイド『川湯相撲記念館
川湯相撲記念館 Vol . 98
川湯相撲記念館
(北海道 川上郡弟子屈町)
‐ Hokkaido ‐
北海道
Presented By 星★聖
川湯相撲記念館(北海道 弟子屈)
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■ 川湯相撲記念館とは?

 北海道東部の弟子屈町の川湯温泉にある、第48代横綱 大鵬幸喜の偉業を称えて造られた相撲記念館。2013年1月19日に、惜しまれつつこの世を去った横綱大鵬の、生い立ちから引退までの半生が、数々の記念品や身のまわり品、写真や映像、資料等で紹介されており、横綱大鵬の人物像に迫れる展示内容。柏鵬世代には嬉しい、現役時代の大鵬の名勝負を映写室で見ることもできる。
川湯相撲記念館のPR
おすすめシーズン
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
現役時代の名勝負を映写室で見られるので、柏鵬世代の方はここへ!
他の横綱の記念館などと展示の仕方などを比較しながら見ると面白いよ!
偉大な横綱大鵬を知らない人でも、ここへ来れば人物像に迫れるよ!
~ 川湯相撲記念館 編 ~ 温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)
川湯相撲記念館の見所
川湯相撲記念館 忍 明け荷
川湯相撲記念館 明け荷
北海道東部の阿寒国立公園内にある、かつてクッシ―騒動の舞台となった屈斜路湖畔の川湯温泉に、この川湯相撲記念館がある。 川湯相撲記念館という名だが、内容的には大鵬記念館というのが正しい感じ。「忍」の文字があるが、大鵬は色紙等にもこの「忍」の一字をよく書いていた。 相撲の支度部屋などでよく見かける明け荷。力士の化粧まわしなど身のまわりの物を入れ運んだもの。側面に力士名が入るのが普通で、今もこんな感じ。
第48代横綱 大鵬幸喜 横綱大鵬の土俵入り 歴代横綱の名札
第48代横綱 大鵬幸喜 横綱大鵬の土俵入り 歴代横綱の名札
柏鵬時代という一時代を築いた名横綱は、1971年5月に、多くのファンに惜しまれつつ土俵人生に幕を閉じた。現役時代を知らない自分でも偉大さは知っている。 「負けない相撲」「相撲の天才」と評され、どんな相手にもどんな戦術にも即応し、有利な体勢へと導いていくその相撲スタイルは、型がないのが大鵬の型と言われた。 通算成績 872勝182敗、横綱在位 58場所と10年に及び頂点に君臨し、優勝32回(全勝優勝8回)、6場所連続優勝が2回、45連勝と数々の金字塔を打ち立てた。
横綱大鵬の銅像 優勝額 化粧廻し
横綱大鵬の銅像 優勝額 化粧廻し
1940年5月29日に、樺太で生まれた本名 納谷幸喜少年は、10歳を過ぎた頃から1956年に角界入りするまで、この川湯温泉で生活していた。 子供達の大好きなものとして、当時「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた大鵬は、昭和の一時代を気付いた大横綱。圧巻なのは、ズラリと並んだ32枚の優勝額。 普段遠くからしか見ない力士の化粧まわし。近くで見ると、かなり凹凸があり、手の込んだ芸術作品であることが分かる。写真の絵柄は摩周湖。
川湯相撲記念館の地図
基本情報
■名称:川湯相撲記念館
■読み方:かわゆすもうきねんかん
■参考ホームページ:第48代横綱 大鵬幸喜
■所在地:北海道川上郡弟子屈町川湯温泉2-1-20
■問合せ:015-483-2924
観光情報
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『川湯相撲記念館』 編

クッシー伝説の地に建つ記念館!

かつて一世を風靡したネッシー騒動の最中、日本でも話題となったひとつの湖があります。

北海道東部にある神秘的な湖群のひとつで、「阿寒国立公園」内にある屈斜路湖(くっしゃろこ)が、その舞台となった湖でした。

ネッシーにちなんで、「クッシー」と言われた屈斜路湖の未確認生物体は、その後、伝説のかなたへと消えていきましたが、そんな屈斜路湖湖畔の川湯温泉に、相撲界の伝説の人物、第48代横綱 大鵬幸喜(たいほうこうき)の輝かしい業績を称えて建造された、『川湯相撲記念館』があります。

不滅の名横綱と言われ、国民的ヒーローとして子供達に慕われ続けた大鵬ですが、その大横綱大鵬の栄光と軌跡が、この川湯相撲記念館いっぱいに綴られています。


巨人・大鵬・卵焼き

今では死語に近い言葉だが、昭和の一時代、子供達の大好きなものとして、当時、長嶋・王を擁して、V9という偉業を達成した読売ジャイアンツとともに、「巨人大鵬卵焼き」と言われた横綱大鵬は、この川湯温泉のある、弟子屈町(てしかがちょう)で少年時代を過ごしました。

わたしは大鵬世代の人間ではないので、現役時代の大鵬の活躍は、テレビや雑誌での伝説上の人物としてしか知り得ませんが、それでも角界にあってその存在の大きかったことは、後の偉大な力士たちが、数々の記録に挑戦するたびに、そこにこの名が登場することで、充分すぎるほどわかります。

そんな偉大な横綱である大鵬は、北の大地北海道のこの川湯で育ちましたが、生まれは樺太(からふと)の敷香(しすか)で、ウクライナ人だった父と、日本人の母の間で、1940年5月29日に生を受けました。

本名を、「納谷幸喜」(なやこうき)といい、10歳を過ぎた頃から、この地に住みはじめ、1956年に角界入りするまで、この川湯で生活していました。


型がないのが大鵬の型!

ご年配の方なら言うに及ばず、若い方でも相撲好きの方であれば、横綱大鵬の名前を知らない方はいないと思いますが、大鵬は、横綱に同時昇進しライバルと称された横綱「柏戸」(かしわど)とともに、「柏鵬時代」(はくほうじだい)という一時代を築いた名横綱でした。

身長187cm、体重153kgという体格をいかし、万全の体勢に持ち込んでから勝負に出るという、大鵬の安定した取り口は、時に手堅いがゆえに派手さが無いと酷評されたりもしました。

しかしながら、どんな相手にも、どんな戦術にも即応し、有利な体勢へと導いていくその大鵬の相撲スタイルは、後に「負けない相撲!」「相撲の天才!」と評されました。

輪島の左四つからの黄金の下手投げや、千代の富士の前褌(まえみつ)をとっての一気の寄りなど、得意の形を持ちこの形になれば万全!という、自らのスタイルを確立していた力士とは異なり、大鵬の取り口は、相手によりそのスタイルを変え、実に自然体で、大鵬ならではのものであり、かつて二所ノ関親方が、「型がないのが大鵬の型」と評したとおり、これこそが大鵬の相撲スタイルでした。

優勝32回(歴代1位)、その内全勝優勝が8回、6場所連続優勝が2回、連勝記録も45勝と、どれもすばらしい記録のオンパレードですが、大鵬の記録を語るうえで、必ず話題に上るのが、歴代3位の連勝記録が途切れることとなった、1969年3月場所 2日目の「戸田」(羽黒岩)との一番でした。


世紀の誤審!

世紀の誤審!」と言われるこの一番は、大鵬に軍配があがるも、物言いにとなり、審議の結果、行司差し違えで戸田の勝ちとなったのですが、テレビに映し出された映像では、戸田の足が先に出ており、このことが問題となり、これを機にVTR判定の制度が採り入れられることとなったという、実に皮肉な一番でした。

スポーツの世界に、もし?はありませんが、この一番が白星となっていたら・・・と考えてしまう多くのファンをよそに、大鵬は、「横綱が押し込まれるような相撲をとるのがいけない」と語ったといいます。

凡人ではとても真似のできない、偉大な横綱ならではの発言ですが、それでも尚、もし?と考えてしまうのは、わたしだけでしょうか。

そんな大鵬の輝かしい功績の中で、唯一物足りなく感じるのが、金星(きんぼし)の数です。
平幕力士が横綱を破るという、金星なくして昇進なし!と言われる中で、たった1個とは・・・と思ってしまったのですが、実は1960年1月に入幕して以来、たった3場所で小結に昇進、翌年には大関・横綱と、一気に上り詰めたゆえに、金星を重ねる暇がなかった・・・というのが実態で、強すぎたゆえの結果でした。

そんな大鵬の唯一の金星は、入幕3場所目の五月場所の、当時の横綱朝汐からあげたものでしたが、病み上がりとはいえ、横綱に何もさせずに3秒で寄り切るという、圧倒的な強さを示した一番でした。

かくして相撲界に数々の金字塔を打ち立てた横綱大鵬は、通算成績 872勝182敗、幕内在位 69場所、横綱在位 58場所という、10年にも及び頂点に君臨し続けながら、1971年 5月、多くのファンに惜しまれつつ、土俵人生に幕を閉じ引退していきました。

この五月場所において、引退を決意した一番が、5日目の貴ノ花戦だったとのことで、軽量力士だった貴ノ花に寄り倒しで負けた大鵬は、娘さんに相談して引退を決意したと言われています。

新入幕の翌年に横綱になるという離れ業をやってのけた横綱大鵬は、師匠二所ノ関親方が温存していたというその四股名(しこな)に恥じることなく、かくして輝きを残したまま土俵を去っていきました。


横綱大鵬のすべてがここにある!

この川湯相撲記念館は、1984年に、大鵬の実家のそばである、この川湯の地に造られた施設で、国技館を想わせる方形造りの屋根が、とても印象的な建物となっています。

鉄筋コンクリート造りの、およそ165坪の館内には、横綱大鵬にまつわる展示コーナーの他、映写室売店などがあります。

展示スペースだけでも60坪を越す広さがあり、偉大な先輩横綱であった、横綱双葉山の業績を称えて造られた、大分県の「双葉の里」の展示室と比べると、その造りもさることながら、展示スペースだけでも倍以上の広さを誇っています。

記念館入口に建つ大鵬の銅像を横目に、正面玄関を入ると、まず真っ先に、「」の文字が目に飛び込んできます。

横綱大鵬が、座右の銘とした一文字で、大鵬の相撲の取り口、相撲哲学、さらには相撲人生そのものを表している、とても重みのある言葉となっています。

その先の展示コーナーは、反時計回りにぐるっと一周できるようになっており、少年時代から入門>修行>横綱時代と、年代を追って順に写真や身の回りの衣類などが展示してあります。

中でも圧巻なのは、ズラリと並んだ32枚の優勝額(複製)で、改めて偉大な横綱の姿を、ここに感じます。

順路途中には、自民党初代幹事長にして、第56代内閣総理大臣の岸信介元首相の書による「化粧まわし」や、呼びだしの永男さん自らが作成した「相撲ミニやぐら」、これまた式守錦太夫(しきもりきんだゆう)さん自らが着付けをしたという、等身大の「行司 式守錦太夫人形」などがあります。

館内には、横綱大鵬を偲ぶ展示品が、数多く収蔵されており、大鵬を知らない世代の方でも、ぐるりと一周するうちに、この大鵬幸喜という力士の栄光と軌跡が手に取るようにわかり、どれだけ偉大な横綱であり、光り輝いていたかが理解できるようになっています。

そして、展示コーナーの先にある映写室で、横綱大鵬の軌跡を振り返る頃には、すっかり大鵬通になっている自分に気付くのではないでしょうか。

また館内には、歴代横綱の一覧や、力士の写真による番付表相撲グッズの販売などがあり、相撲ファンなら泣いて喜ぶ施設となっています。

横綱大鵬の偉大な業績を振り返りつつ、川湯相撲記念館を後にすると、入館時には、さほど気にもせず通り過ぎていた、正面玄関右手に建つ、川湯小学校より移設されたという大鵬の銅像が、帰り道には、大きく光り輝いて見えてきます。

大鵬世代の方はもちろん、相撲にあまり馴染みの無い方でも、川湯温泉に訪れた際には、是非、川湯相撲記念館に寄って、偉大な横綱の素顔に迫ってみてください。

2013年1月19日に、惜しまれつつこの世を去った横綱大鵬ですが、通夜の弔辞にて、世界の王貞治をして、「巨人・大鵬・卵焼きと言われてました。あなた一人個人です。個人で巨人と卵焼きと同列です。いかにあなたが偉大だったのか物語っていると思います。」と言わしめた、偉大な横綱の軌跡を辿ってもらいたい。
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