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双葉の里 Vol .72  双葉の里(大分県)
双葉の里
‐ Oita ‐ 大分
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双葉の里 関連】
双葉山定次 相撲今むかし
大分 3大日本一!
 
大分県北部の周防灘(すおうなだ)に面する県境近くの町に、未だ誰も超えられない前人未到の69連勝という大記録を樹立した大横綱が、生まれ育ちました。
 
その偉大な横綱こそ、大分が生んだ大横綱 「双葉山」です。
 
相撲が好きな人もそうで無い方も、一度はニュースや新聞で、この名は見たり聞いたりされているのではないでしょうか。
 
大鵬」、「北の湖」、「千代の富士」(53連勝 2位)、「朝青龍」・・・など、時代を超えて多くの横綱が目標にし挑戦するも、未だかつて、あと一歩という距離にすら近づくことが出来ない、69連勝という大記録をうち立てた双葉山。
 
大分県が誇る日本一(双葉山・宇佐神宮・いいちこ)の1つとして、地元でこの名を知らない方はいないくらい、地元にとっても相撲界においても、双葉山は偉大な横綱でした。
 
そんな横綱双葉山の功績を、後世に伝えるべく、横綱が生まれ育った、大分県の宇佐の生家の横に、資料展示室がつくられ、横綱の偉業を称えるべく、『双葉の里』が誕生しました。
 
 
 
第35代横綱 双葉山
 
第35代横綱、「双葉山定次」は、1912年2月9日、宇佐市の下庄布津部に生まれました。
 
双葉山像本名を「穐吉定次」(あきよしさだじ)といい、この双葉の里のある、大分県の宇佐で育ちました。
 
幼い頃遊んだとされる、伊呂波川の河口付近には、双葉山を称える記念碑や相撲場などが建てられており、この辺りには、双葉の里以外にも、双葉山の偉業を称えるものが、あちこちに点在しています。
 
そんな双葉山のこの四股名(しこな)は、「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし・・・大成する人物は、幼少時から人並みはずれた優れた点がある )のことわざと、入門時にお世話になった、大分県警の「双川氏」の頭文字をかけて付けられたと言われています。
 
後に、出世した際に、土俵入りの「雲龍型」(うんりゅがた)の確立者として一時代を築いた名横綱「梅ヶ谷」の、由緒ある四股名を名乗るように薦められた際にも、これを断り、双葉山の名を貫き通しました。
 
早くから匂いを放ち、このことわざで優れているとされる「栴檀」ではなく、「双葉」の文字を採ったところに、後に昭和の大横綱となる双葉山の人生が、垣間見れるような気がします。
 
 
 
永遠に破られない記録の数々!
 
「羽黒山」や「千代の富士」などの横綱がそうであったように、双葉山も、決して相撲が好きで力士を目指した訳ではありませんでした。
 
嫌々出場した相撲大会からその才能が見出され、周囲の後押しや、家計の事情などにより、16歳になった1927年に、「立浪部屋」の門を叩いたのが、この偉大な横綱の相撲人生の始まりでした。
 
双葉山の体は、5歳の時に吹き矢にあたり、右目が失明に近い状態だったことや、事故により右手の小指が不自由だったこともあり、決して恵まれた体という訳ではありませんでした。
 
入門後の双葉山は、鳴かず飛ばずの日々が続き、まだ力量がないところに、生涯を通じてのテーマであった「真っ向勝負」の正攻法の相撲スタイルに、すぐに土俵際に追い込まれ、苦しまぎれのうっちゃりばかりの相撲内容でした。
 
そんな当時の双葉山の相撲内容から、皮肉交じりに「うっちゃり双葉」と呼ばれたほどでしたが、そんな双葉山に、やがて転機が訪れました。
 
持病であった蓄膿症の手術後の1936年頃より、天性の二枚腰に加え、相撲スタイルが一変し、右四つの磐石の態勢からの吊り寄りや投げが決まりだしました。
 
そして、あの前人未到の69連勝の大記録とともに、「前頭」から一気に「横綱」へと階段を駆け上りました。
 
この快進撃は、1939年1月場所4日目に、「安藝ノ海」に敗れるまで続き、その間、全勝優勝5回と、無敵の強さを誇り、実に3年越しでの記録達成でした。
 
この頃、双葉山見たさに徹夜組が出るほど、空前の相撲ブームが沸き起こり、本場所の取り組み日数も11日間より現在の15日間へと延びていき、連日多くのファンが、双葉山見たさに国技館へと足を運びました。
 
そんな中でも、双葉山は、決して驕ることなく、不調時には、滝にうたれに山に入るなどして、常に自らを鍛え、信念を貫き、不屈の努力と強い精神力で相撲に精進していきました。
 
1942年には、再び36連勝を記録するなど、今と違い年2場所時代に生きた横綱でありながら、優勝12回、全勝優勝8回、そして69連勝という金字塔を打ち立てました。
 
幕内通算成績、31場所 276勝 68敗 1分 33休、横綱在位中 180勝 24敗 22休5場所連続全勝優勝、さらには、永遠に破られないであろう、関脇在位1場所、大関在位2場所、すべて全勝で、一気に横綱に上り詰めたという、史上ただ一人の大記録を残しました。
 
そんな双葉山を、ある人は「相撲の神様」と呼び、またある人は「角聖」と呼び、言葉を代え、昭和の大横綱を称えました。
 
引退後も、角界の改革に自ら乗り出し、「時津風理事長」として、数々の相撲改革を成し遂げ、理事長としても、真っ向勝負の人生を歩んでいきました。
 
この偉大な横綱の偉業は、今も時津風部屋に、時津風部屋の看板とともに掲げられている、「双葉山相撲道場」の看板が物語っています。
 
 
 
双葉山の人柄が偲ばれる・・・、双葉の里!
 
双葉の里には、資料展示室や休憩所とともに、その裏手に、復元された双葉山の生家があります。
 
木造萱葺13.5坪たらずの平屋建ての家が、この大横綱の生家でした。
 
双葉の里 双葉山生家双葉山没後の1969年に、公民館として寄贈されていた生家でしたが、再び当時の間取りを再現し、双葉の里として、現在、生家内部を見学できるようになっています。
 
通り沿いの資料展示室には、双葉山ファンや相撲ファンにはたまらない、化粧まわしや愛用の時計などの品々が並んでおり、双葉山の像や、貴重な写真の展示なども行われています。
 
しかしながら、お世辞にも、この双葉の里は、昭和の大横綱、相撲の神様と言われた偉大な横綱を称えるような、そんな感じの場所とは言えません。
 
この双葉の里の資料展示室は、休憩所の脇に併設された感のあるもので、正直、最新設備があるわけでもなく、これと言って特別立派なものでもありません。
 
北海道の川湯温泉に建つ、横綱「大鵬」の偉業を称える「川湯相撲記念館」や、福島町の「横綱千代の山・千代の富士記念館」などに比べたら、規模も設備も比べようもないくらい見劣りするものです。
 
国道沿いに、一見ドライブインのような感じで建っているこの双葉の里は、それくらい質素で周囲に埋もれており、あへてここにたどり着こうとすれば、逆に見つけるのが難しい・・・そんな感じのところです。
 
しかしながら、そこに、この偉大な横綱の人柄や人生が写し出されているような気がします。
 
常に自分に厳しく、驕らず、飾らず、派手なことを好まず、ひたすら正攻法で歩み続けた双葉山の人生が、ここに表れているような気がしてなりません。
 
双葉の里 双葉山生家内もし、この双葉の里が、さも観光商売目的で、派手な看板にドデカい施設であったならば、きっと双葉山は、天国で嫌がったのではないでしょうか。
 
横綱の人生を追っていくうちに、わたしにはそう思えてきました。
 
真っ向勝負で、飾らない人生・・・、そんな双葉山という大横綱を振り返る時、今の双葉の里の姿が、この大横綱にはふさわしいように思えてきます。
 
相撲の神様、横綱双葉山の素顔を知りたい方は、是非この双葉の里を訪れてみてください。
 
一見、何もないような感じのこの場所こそ、横綱双葉山の人生そのものであり、双葉山が双葉山であったことを実感できる・・・そういう場所だと思います。
 
稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく
我未だ木鶏(もっけい)たり得ず」 ・・・ 、いかにも双葉山らしい言葉であり、とかくトラブルの多い現代の横綱たちに、是非とも深く受け止めて頂きたい言葉でもあります。
 
 
  
 
■ 双葉の里 〜 星★聖 の ひとこと 〜
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