京都府観光ガイド修学院離宮

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Vol . 170

修学院離宮

Kyoto

京都府

5つ星評価

修学院離宮

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修学院離宮(京都)

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修学院離宮をご覧の皆様へ

修学院離宮しゅがくいんりきゅうとは?

京都市北東の比叡山麓に位置する、江戸時代の17世紀中頃に 後水尾上皇ごみずのおじょうこう の指示のもと幕府が造営した宮内庁所管の離宮。

以前は上御茶屋・中御茶屋・下御茶屋と呼ぶことが多かった上離宮中離宮下離宮 という3つの離宮を、田畑の中を行く玉砂利で低い松並木の道が繋ぐ、広さ54万㎡、東京ドーム11.5個分に及ぶ広大な面積を有する庭園。

中離宮の「客殿」にある、桂離宮の桂棚、醍醐寺の醍醐棚とともに "天下の三棚" "日本三名棚" と称される「霞棚」があることで知られる。

また春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と日本の四季の移ろいが感じられる庭園と、趣の異なる建築物の意匠やその造り、それらが織り成す景観と眺望が魅力で、特に借景として鞍馬・貴船・愛宕などの山々を取り入れた上離宮の「隣雲亭」からの眺望と、「浴龍池」に架かる一風変わった景観をつくりだす「千歳橋」の人気が高い。

修学院離宮の参観は、以前は往復はがきかネットでの事前予約が必須だったが、現在は若干ながら当日受付も可能。

星★聖の名勝・史跡 見どころ

修学院離宮見どころ

修学院離宮 表総門
表総門

修学院離宮 表総門

修学院離宮の名は、かつてこの地にあった修学院という寺院に由来し、修学院がこの辺り一帯の地名となっていたため、修学院にある離宮ということで「修学院離宮」と呼ばれるようになった。修学院離宮の参観は、この表総門前で入園受付の開始を待つところから始まる。

修学院離宮 寿月観
寿月観

寿月観

後水尾上皇ゆかりの花菱紋の透彫りがある杮葺きの御幸門を潜ると、いよいよ下離宮の参観が始まる。上皇の御幸の際に御座所となったのがこの寿月観じゅげつかんで、現在の建物は上皇の第四皇女となる昭子内親王あきこないしんのうの岩倉山荘(岩倉御所)を、移築した当初の建物のままに1824年に再建したもの。

寿月観の御座所と『虎渓三笑』の襖絵
御座所と『虎渓三笑』の襖絵

御座所と『虎渓三笑』の襖絵

15畳の一の間に一段高い3畳床付きの御座所があり、側面にも脇床と棚が設けられ、天袋と地袋には原在中の筆による鶴とランが描かれている。襖絵として中国の故事に基づき岸駒がんくが描いた『虎渓三笑こけいさんしょう』の模写がある他、後水尾上皇の筆による『寿月観』の額が掲げられている。ちなみに三の間にはかつて別棟にあった『蔵六庵』の額がある。

修学院離宮の袖形燈籠
袖形燈籠

袖形燈籠

下離宮の苔むした池泉庭園にあって異彩を放っている、宮内庁管轄の御所や離宮ではこの修学院離宮でのみ見られるという袖形燈籠そでがたとうろう。四角板の基礎と四角い傘の間の火袋が、ワニが口を開けているようにコの字型に欠込まれていることから鰐口燈籠わにぐちとうろうとも言われる。口の上部にある天井金具に釣燈籠を吊るして使う珍しい燈籠だ。

修学院離宮の朝鮮燈籠・櫓形燈籠
朝鮮燈籠・櫓形燈籠

朝鮮燈籠・櫓形燈籠

袖形燈籠の他にも下離宮には、傘の上に角が切り落とされた切籠型の宝珠が載る百済型!?の朝鮮燈籠や、入母屋造の笠の下の火袋に ☽・○・◫ の窓が施された櫓形燈籠やぐらがたとうろうがある。燈籠に注目して巡るのも、修学院離宮参観の楽しみの一つだ。

修学院離宮 松並木の道
松並木の道

3離宮を繋ぐ松並木の道

修学院離宮の3つの離宮を繋ぐ玉砂利が敷かれた印象的な松並木。後水尾上皇の時代には、田んぼの中を行くただの畦道だったが、明治時代の1885年に中離宮が編入された後、明治天皇の行幸に備え松が植えられ拡幅整備されたという。

修学院離宮 楽只軒と客殿
楽只軒と客殿

楽只軒

1668年に後水尾上皇の第八皇女の朱宮光子内親王あけのみやてるこないしんのうのために造営された山荘(朱宮御所)が、中離宮に建つ楽只軒らくしけんだ。1680年の上皇崩御を機に朱宮が照山元瑤しょうざんげんようと号し仏門に入ったため、山荘も林丘寺りんきゅうじ(音羽御所)と改称され尼門跡寺院となった。明治時代になって、1884年に皇室に楽只軒や客殿が建つ寺領の一部が返還され、修学院離宮の中離宮に編入された。

後水尾上皇直筆の『樂只軒』の額
後水尾上皇直筆の額『樂只軒』

後水尾上皇の筆による『樂只軒』の額

一と二の間の下がり壁に、後水尾上皇の筆による『樂只軒』の額が掲げられている。中国最古の詩篇である『詩経』の小雅の南山有臺なんざんゆうだいという詩に繰り返し登場する「樂只君子」から命名されたらしい。樂しむ君子こそ国家の礎であり限りない繁栄をもたらす…という感じの詩だが、ただ楽しんでいる訳ではなく、君子が安楽でいられる世の中こそ…という意だ。

狩野探信の『吉野山桜図』
狩野探信の『吉野山桜図』

狩野探信の『吉野山桜図』

6畳の一の間の床壁の正面と横に狩野探信の『吉野山桜図』が、上の『樂只軒』の額の写真の奥に見える8畳の二の間には『竜田川紅葉図』が描かれている。宮内庁所管で文化財保護法の対象外となっている修学院離宮だが、現在では原品は保管され模写となっているものが多い。

修学院離宮の池泉庭園
池泉庭園

池泉庭園

楽只軒や客殿の周りには、曲線を描き優美な流れを見せる小川や様々な樹木や石が絶妙に配された池泉庭園が広がっている。ここにもひょろっとした燈籠や生込燈籠などがあるのだが、全体的に一時期林丘寺となっていたその歴史からか、上下の離宮とは異なり凛とした佇まいを見せ趣も異なる。

網干の欄干
網干の欄干

網干の欄干

楽只軒の東南の少し高い位置に、屈曲する段差が不規則な階段により繋がっているのが客殿だ。客殿には濡れ縁が廻されていて、その一部に「網干の欄干あぼしのらんかん」「網干欄干」と呼ばれる低い手摺が見られる。投網のように末広がりに6本の細木で編まれた意匠が連なり、網を干すような感じとなっている。雨さらしの濡れ縁なので仕方ないことだが、ここでも保存状態が気になる。

華やかな客殿の襖絵
客殿の襖絵

華やかな客殿の襖絵

1677年に後水尾天皇の中宮で東福門院とうふくもんいんとして知られる、二代将軍徳川秀忠の娘の徳川和子とくがわ まさこの女院御所の奥御対面所として造営された客殿。1678年に他界すると1682年に林丘寺に移築され、1884年に楽只軒とともに修学院離宮に編入された。一の間・二の間・三の間・仏間があり、狩野永敬の四季絵などもみられる。客殿が移築建築物だということもあり、修学院離宮にあっては他とは一線を画す華やかさがある。

修学院離宮 霞棚
霞棚

霞棚

桂離宮の「桂棚」、醍醐寺三宝院の「醍醐棚」とともに "天下三名棚" "天下の三棚" "日本三名棚" などと称される「霞棚」だが、3つの違い棚の中でも最も雅でゴージャスな印象だ。現在の霞棚は1972年に模写されたもので原品ではないが、非公開ではなくこうして本来あるべき場所で目に出来るだけでありがたい。芯々で幅2.9545m×高さ1.868mという空間に、5枚の欅板による違い棚が海老束とともに霞が棚引くかのごとく絶妙に配されており、筆返しにも意匠が施されている他、地袋の小襖には友禅染の張り場の風景が描かれている。左右の壁にも連続して施されている金砂子を雲形に散らした壁面には、「修学院八景」を題材に1編ずつ詠まれた公家による和歌と五山の長老による漢詩の色紙などが貼られている。

修学院離宮の客殿 一の間
客殿 一の間

床の間よりも幅広い霞棚

12畳の一の間にあって、一間半と床の間よりも幅広い霞棚。しかも基準柱間が6尺5寸で柱が4寸2分角という京間なので、さらに大きく感じる。霞棚の左右の壁やそれに続く襖の腰貼りには群青と金箔の菱文様が施され、床壁には市松文様のように色紙が貼られていたりと、霞棚を引き立てるだけでなく、全体的にとても前衛的な印象だ。

客殿の霞棚
霞棚

客殿の緻密さ・優美さ・華やかさ

霞棚を正面から見ていると気づきにくいが、実は右手の地袋だけ手前に矩折りに迫り出しており、その上に特徴的な三角形の袋棚がある。その小襖には"ぶりぶり"と言われる子供玩具をあしらった5.5cmの引手が施され、下の地袋の8cmの羽子板形の引手との違いを見せる。このような緻密さ・優美さ・華やかさと、庭園の趣とのギャップもまた客殿の魅力だ。

鯉と鮒の杉戸絵
鯉と鮒の杉戸絵

鯉と鮒が描かれた杉戸

畳縁の杉戸の一の間側には「こい」と「ふな」が、二の間側には「鯉」が描かれているのだが、それを覆うように網目がかけられている。何でもあまりの活きの良さから、夜な夜な絵から抜け出し池で泳ぐとのことで、後から漁網を書き加えたとのこと。一説にはこの加筆を行ったのが円山応挙とも言われ、所々網がほつれている様子まで詳細に描いている。

祇園祭の岩戸山と放下鉾が描かれた杉戸
岩戸山と放下鉾の杉戸絵

祇園祭の岩戸山と放下鉾が描かれた杉戸

西縁座敷には、京の夏の風物詩で京都三大祭として知られる祇園祭の山鉾の「岩戸山いわとやま」と「放下鉾ほうかほこ」で、この裏側には「船鉾ふなほこ」が描かれている。こちらの杉戸絵も模写で原品ではない。長らく住吉具慶すみよしぐけいの作とされてきたが、現在では狩野外記こと狩野寿石の作とされている。

隣雲亭からの眺望
隣雲亭からの眺望

隣雲亭からの眺望

元々上離宮の地には1629年に第108代天皇を退位した後水尾上皇の茶屋として隣雲亭りんうんていが建っていた。また1640年に出家し大通文智だいつうぶんちとなっていた上皇の第一皇女である梅宮こと文智女王も、1641年に当地に草庵(円照寺)を結んでいた。そんな折、1655年に後水尾上皇がその草庵に御幸し、当地の風光明媚な景観に改めて感銘を受け、翌1656年~1659年にかけて造営させた後水尾上皇肝いりの山荘が修学院離宮だ。これにより文智の円照寺は奈良へと移転を余儀なくされている。隣雲亭からは、鞍馬・貴船・愛宕などの山々を借景とした浴龍池よくりゅうちの絶景が楽しめる。

修学院離宮 隣雲亭
隣雲亭

隣雲亭

浴龍池よくりゅうちを見下ろす絶景に建つ入母屋造 杮葺きの隣雲亭りんうんてい。10m程の高低差とは思えない眺めだ。三方が抜けた風通しの良い簡素な茶屋風の造りながら、欄間にはさりげなく花菱紋が見られる。現存の建物は江戸時代後期の1824年に再建されたもので、創建時の建物は1677年に焼失したという。

隣雲亭の一二三石
一二三石

一二三石

隣雲亭の三和土たたきに、鞍馬の赤石や賀茂川の真黒石を使い1粒・2粒・3粒で模様を描く独特の意匠の叩き漆喰がある。石の数を数えれば名前の由来は明瞭なわけで、「一二三石ひふみいし」と呼ばれる明るく軽快な印象の三和土だ。その芸術性に気付くと、土足で歩くのがはばかられる感じだ。

修学院離宮 浴龍池
浴龍池

浴龍池

まるで龍が水浴びするかの如く、その頭を大きく突き出しているように見える浴龍池よくりゅうち。四季の移ろいが感じられ、特に紅葉時の池の眺めは格別だ。写真中央の浴龍池に突き出ている島が「万松塢ばんしょうう」だ。今ではすっかり周囲の景観に溶け込み雄大な景色をつくり上げている浴龍池だが、実は離宮造営時につくられた巨大な人工池で、その外周は約750mに及ぶ。散歩にちょうど良い距離で、こんな池の周りを上皇のように毎日散歩出来たらなぁ~などと思わず考えてしまう。

浴龍池へと流れ落ちる滝

浴龍池へと流れ落ちる滝

隣雲亭から下っていくと滝がある。音羽川から流れ出る水が、石組の間を抜け浴龍池へと流れ落ちている。集団見学ゆえにゆっくりと時間をかけての散策ができないのだが、季節が変われば美しい景色となりそうだ。

修学院離宮の山寺燈籠・滝見燈籠
山寺燈籠・滝見燈籠

山寺燈籠・滝見燈籠

上離宮には、隣雲亭近くに建つ大きく開いた四脚の脚が印象的な山寺燈籠や、滝の下に建つ滝見燈籠をはじめ、御舟着の近くには舟見燈籠と呼ばれる崩家形燈籠もある。各離宮ごとに様々な燈籠が見られてオモシロい。

千歳橋
千歳橋

千歳橋

浴龍池よくりゅうちに浮かぶ窮邃亭きゅうすいていが建つ中島と、その南側の万松塢ばんしょううとの間に架けられているのが千歳橋だ。1824年の離宮改修時に京都所司代の内藤信敦が橋台を寄進し、1827年に天保の改革で知られる水野忠邦が屋形を寄進した、切込接ぎきりこみはぎの橋台に一枚岩の橋板を渡した特徴的な絵になる屋形橋だ。遠目には同じに見えたが、橋の東側は屋根に鳳凰が載る向拝のある方形造で、西側は寄棟造で廻縁まわりえんがあり高欄こうらんが廻されている。この他浴龍池には、長い橋脚と周囲の紅葉が印象的な楓橋と、欄干に栗の手斧削りが見られる土橋がある。

修学院離宮 窮邃亭
窮邃亭

露盤宝珠が目印の窮邃亭

窮邃亭きゅうすいていは、上離宮の浴龍池の中島の岩山に建つ、三間方形造 柿葺きの茶亭で、改修はされているものの修学院離宮にあって唯一残された後水尾上皇時代の創建時の建物だ。屋根の上の "露盤宝珠" が目印で、瓦製の露盤の上に切子頭の宝珠が載せられている。

窮邃亭の座敷
窮邃亭

窮邃亭の座敷

内部には間仕切りのない18畳の座敷と板間が突出した水屋があり、池が臨める西の一角が、下り壁とともに上段として鍵形に6畳分高くなっている。その窓際には、二間に渡り欅の一枚板による膳板が取り付けてあり、内側ではあるが肘掛窓のような感じとなっている。

『窮邃』の額
『窮邃』の額

『窮邃』の額

土間庇の軒下に後水尾上皇の筆による『窮邃』の額がある。2文字は横長の八角形で囲まれ、その重なり合う部分にはあわじ結びによる水引が見られる。「窮」には "極限まで突き詰める・極まる" という意味があり、「邃」には "奥深い" という意味がある。この離宮の存在意義や窮邃亭のロケーションを鑑みれば、なんとなく後水尾上皇の心情は慮れる。

御舟着
御舟着

趣のある御舟着

御舟着は、ただ舟が繋がれ納まる舟屋があるだけなのだが、遠くに千歳橋が見えるせいか、はたまた "離宮マジック" にかかっているのか、趣深い絵になる光景に見えてしまう。ここにきて急に多様な樹木による手刈りの混ぜ垣や、直線・曲線が美しい大刈込による樹木の手入れにも目が行きだし、これは一回ではとても見切れないわ…と改めて思った。

方形の石船
方形の石船

方形の石船

御舟着近くにある水盤にも見える方形の石船。説明を聞き逃したためよく分からないが、よく分からなくても紹介したくなるところが、修学院離宮の凄さなのだろう。とにかくどこもかしこも見所だらけで、1時間半などあっという間だ。

浴龍池と立石
浴龍池と立石

浴龍池と立石

今まで歩いてきたコースを振り返りながら千歳橋方面を望む。手前には舟を繋いでいたという立石が見える。上離宮を後にすべく浴龍池の畔をぐるりと周って行くと、いよいよ見学コースも帰路となる。

浴龍池の畔の立木
浴龍池の畔の立木

何気ない立ち木まで…

修学院離宮を巡っていると、至る所に見所があるため、見学が終わる頃には、何気ない立ち木にも意味があるのではないか!?などと、すべてが芸術作品に見えてくる。もう "離宮マジック" としか言いようがない。

修学院離宮の棚田
棚田

棚田

修学院離宮を訪れてみて、庭園や建築物以外で驚いたのが、想像以上の敷地の広さとこの棚田だ。昭和時代の1964年に宮内庁が田んぼを買い上げた後、委託された地元の農家が耕作しているという。四季の変化が一目瞭然に感じられる。

修学院離宮の3つのポイント

"天下三名棚"と言われる霞棚は必見だよ!

修学院離宮は、霞棚や隣雲亭からの浴龍池の眺望だけでなくとにかく見所いっぱいなので、事前学習してから参観しよう!

日本の四季の移ろいや庭園美を満喫しよう!

建物や橋も素晴らしいが、庭園の石組みや燈籠・敷石・苔や庭木の苅込などにも目を向けよう!

修学院離宮参観は、体力・履物・飲み物に注意!

アップダウンのある道を約1時間半かけて下離宮⇒中離宮⇒上離宮と3kmほど巡るので、足腰に自信の無い方は注意! 夏場は飲み物も忘れずにね!

修学院離宮魅力

温泉マイスター 星★聖(ほしたかし) 星★聖

修学院離宮見頃・おすすめ時期

1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月紅葉 12月 

修学院離宮基本情報

名称 修学院離宮
読み方 しゅがくいんりきゅう
英訳 Shugakuin Imperial Villa
郵便番号 〒606-8052
所在地 京都府 左京区 修学院藪添
駐車場 なし
お問合せ 075-211-1215(宮内庁京都事務所)
公式HP 修学院離宮
アクセス 現在地 からの ルート所要時間
登録・指定
選定・表彰

修学院離宮カテゴリー

修学院離宮地図

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