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滋賀県旅行観光ガイド『石山寺』 |
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Vol . 107 |
石山寺 |
(滋賀県 大津市) |
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‐ Shiga ‐ |
滋賀 |
Presented By 星★聖 |
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石山寺(滋賀 大津) |
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■国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』
> 石山寺 |
石山寺をご覧になるにあたって |
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■ 石山寺とは?
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滋賀県大津市にある、枕草子や更級日記など数々の古典文学にその名が登場する、西国三十三所観音霊場の第十三番札所である真言宗寺院で、近江八景のひとつである「石山の秋月」で知られるお寺。紅葉の名所としても名高い。
聖武天皇の勅願にて、747年に東大寺の初代別当である良弁僧正を開山として開かれたお寺で、良弁僧正が安置した如意輪観音像を、奈良の都に移そうとしたが、巨大な岩の上に安置したこの像が動かなかったことから、像のある岩の上に寺院を構えたのが石山寺の起こり。4円切手のデザインともなった国宝の多宝塔や、日本の地質百選であり国の天然記念物でもある硅灰石、紫式部が源氏物語を生むキッカケとなる構想を思いついたとされる源氏の間など、変わった見所もある。 |
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おすすめシーズン |
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紅葉 |
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快慶作の大日如来が安置される多宝塔は、4円切手にもなった国宝だよ!
お堂だけでなく、必ず無憂園や源氏苑、月見亭などへも行こう!
石山寺の名前の由来にもなった硅灰石は、じっくり観察してみしよう! |
~ 石山寺 編 ~ |
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基本情報 |
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■名称:石山寺 |
■読み方:いしやまでら |
■所在地:滋賀県大津市石山寺1-1-1 |
■問合せ:077-537-0013 |
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星★聖の名勝・史跡探訪記 『石山寺』 編 |
近江八景 「石山の秋月」
日本一の湖である「琵琶湖」を望む、滋賀県は大津の町に、古くからその名が知られ、「枕草子」や「更級日記」など、数々の古典文学にその名が登場する、ひとつの古刹があります。
「近江八景」の一つで、「勢多(瀬田)の夕照」(せたのせきしょう)として有名な「瀬田の唐橋」の近くに位置し、同じく近江八景 「石山の秋月」(いしやまのしゅうげつ)として、その名が全国に知られるそのお寺が、ここ 『石山寺』(いしやまでら)です。
真言宗の寺院である石山寺は、「青岸渡寺」から始まる、「西国三十三所観音霊場」の第十三番札所としても有名なお寺であり、古くから多くの参詣客で賑わうところとなっています。
石山寺縁起によると・・・
数々の古典文学に、この石山寺の名が登場することからも分かるように、石山寺の歴史は古く、その起源は、奈良時代にまで遡ります。
大仏様で有名な、あの「東大寺」の大仏造立の最中、聖武天皇が勅願にて747年に、東大寺の初代別当で、東大寺開山堂に祀られている人物である、「良弁僧正」(ろうべんそうじょう)を開山として開かせたお寺が、この石山寺とされています。
日本史を学んだ方は覚えがあるかと思いますが、鎌倉時代から編纂されてきた「石山寺縁起」によると、大仏造立にあたって、黄金の調達を任された良弁僧正が、当時「金の御嶽」と言われた吉野山に出向き、蔵王権現に事を告げるも譲り受けることが叶わず、その蔵王権現が、困り果てた良弁僧正にあるお告げをしたことから、この物語ははじまります。
この蔵王権現によると、琵琶湖南端の地に、観音菩薩が姿を現す山があり、そこで祈りを捧げると叶う・・・というものでした。
このお告げに従い、良弁僧正がこの琵琶湖南端の地に庵を構え、聖徳太子の念持仏であったとされる「如意輪観音」(にょいりんかんのん)を安置したのが、事の始まりとされています。
後に、陸奥国から黄金が産出し、お告げどおりに無事黄金が調達できたことから、聖武天皇は、この良弁僧正が祈りを捧げた縁起のよい如意輪観音像を、奈良の都に移そうとしたのですが、巨大な岩の上に安置したこの如意輪観音像が、どうにもこうにもこの場から動こうとしませんでした。
そんなことから仕方なく、この如意輪観音像のある岩の上に寺院を構えたのが、この石山寺の起こりとされています。
頼朝寄進の東大門!
石山寺の境内は、実に広々としており、特徴的な形状をした幾多のお堂と、それを包み込む四季折々の草花が楽しめるとともに、起伏にとんだその地形から、様々な景観が楽しめる場所となっています。
そんな石山寺の広い境内の入口には、入母屋造の「東大門」が建っています。
1190年に、「源頼朝」より寄進されたと伝わるこの東大門は、国の重要文化財に指定されており、中には、「金剛力士像」が安置されています。
この金剛力士像は、石山寺が東大寺の末寺であったことなどから、運慶・快慶の作では?・・と唱える方もいらしゃるようですが、一般的には、作者不明とされています。
わたしは専門家ではないので、仏像を見ても、その場で感じるパッと見の印象しかわかりませんが、専門家の意見としては、顔と体のバランスや表情などが、他のお寺にある運慶・快慶の作のものとは、微妙に異なるようです。
そうは言っても立派な金剛力士像ですので、素通りせずに、立ち止まって眺めてみてください。
秘仏が眠る、石山寺本堂!
そんな金剛力士像のある東大門を抜け、参道を進んでいくと、拝観受付を過ぎた先の右手階段上に、次々とお堂が現れてきます。
そんなお堂の中で、一際大きく、石山寺の数あるお堂の中で中心的な役割を果たしているのが、前述の巨岩から離れようとしなかったと言われる、「如意輪観音」(如意輪観世音菩薩)を安置する「本堂」です。
この石山寺の本堂は、国の重要文化財にして、国宝にも指定されており、もともとあった「正堂」(しょうどう)に、後に「礼堂」(らいどう)を増改築しつなぎ合わせた形の、複合建築物となっています。
正堂は、8世紀に建てられ1078年に半焼してしまったお堂を、1096年に再建したもので、古刹の多い滋賀県にあって、最古の建築物となっています。
その後、江戸時代の夜明け間近の1600年に、修復工事が行われ、続く1602年には、あの「淀君」の寄進により、礼堂が建立されました。
本堂に安置されたご本尊である如意輪観音は、前述の通り、聖徳太子の念持仏であったとされるもので、巨岩から離れようとしなかったことから、縁結びや安産の仏様として、地元の方をはじめ多くの方に慕われています。
高さが5m程もあり、国の重要文化財にも指定されている如意輪観音ですが、33年毎の開扉以外、天皇即位の翌年など、特別な場合を除いて直接ご拝顔することはできない秘仏となっています。
その為、この如意輪観音の前には、御前立様という観音様が立っており、通常はこちらの観音様のお顔を眺めながら拝むこととなります。
残念ながら、わたしはこの如意輪観音のお顔を拝したことはありませんが、2002年に、開基1250年の特別公開が行われたため、この時ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。
次回、このありがたい如意輪観音のお顔を拝することができるのは、特別公開が無ければ、2024年となります。
気が遠くなるような年月ですが、一度でいいからご覧になりたい方は、是非ともこの機会は逃さないようにしてください。
源氏物語が生まれたお部屋とは・・
そんな秘仏が眠る本堂の、正堂と礼堂のつなぎ目にあたる相の間の東の端に、誰もがご存知の物語が登場するキッカケとなったお部屋があります。
現在、「紫式部」の像が置かれているその間こそ、「紫式部 源氏の間」と言われるお部屋で、かつて思うような物語が生み出せずに思い悩んでいた紫式部が、この石山寺に七日七晩こもったとされるお部屋です。
参籠していた1004年8月15日の十五夜に、対岸の金勝山より上る名月が瀬田川に映える光景に閃きを覚えた紫式部は、「源氏物語」誕生のキッカケとなる物語の構想を、この場にて思いついたとされています。
この時のくだりが、源氏物語第十二帖 「須磨」の、「今宵は十五夜なりけりと思し出でて…」から始まるお話で、その後次々と物語が書き進められていったとされています。
見るからに籠り部屋という感じのこの源氏の間ですが、華やかな古典文学の代表作が、ここから生まれていったとは・・・と、ちょっと驚くも、明治~昭和にかけての文豪が、温泉旅館の片隅で名作を書きあげていったことを思うと、今も昔も名作誕生の場所というものは、似たような感じなのか・・・、とも思うしだいです。
ちなみに、この時、紫式部が用いたとされる「硯」(すずり)も、今に伝えられています。
これぞ石山寺!奇岩「硅灰石」
石山寺の本堂の前には、中に安置されている仏像の評価が高い「観音堂」や「毘沙門堂」(びしゃもんどう)をはじめ、「蓮如堂」(れんにょどう)、「御影堂」など、さまざまなお堂がぐるりと周囲を取り囲む、ちょっとした広場のような空間があります。
その広場の正面に、ちょっと見慣れぬものが祀られています。
フェンス越しに祀られているそのものとは、実に奇妙な形をした霊石で、石山寺の名前の由来にもなっている、日本の地質百選に選ばれている「硅灰石」(けいかいせき)と言われる岩です。
石山寺の起源のところでもお話したように、硅灰石は巨大な岩の名残で、天然記念物にも指定されている、とても珍しい岩です。
山形の「立石寺」(りっしゃくじ)や広島の「千光寺」(せんこうじ)、福岡の「霊巌寺」(れいがんじ)など、お寺にはよく、このような奇岩があるものですが、この石山寺の硅灰石は、そんな奇岩とはちょっと異なり、ある意味、石山寺そのもの・・・といった意味合いもあり、ご本尊である如意輪観音と並び、石山寺の根底を支えるものとして祀られています。
かつて観音菩薩が姿を現したと言われる山の姿がここにはあり、石山寺の起源に纏わる物語が、この岩とともに眠っています。
また、お寺の名前の由来には、地名からきたものや歴史上の人物からとられたもの、地元の人が呼んでいた名がそのまま今に伝わるものなど様々ですが、石山寺の名は、この硅灰石からきているとされています。
この硅灰石は、広大な石山寺の敷地内のあちこちに顔を出しており、境内を彩る四季の草花とのコントラストが実に美しいものであり、特に紅葉の時期には、一段と黒と赤のコントラストが美しく感じます。
境内を巡る際には、この硅灰石にも注目して巡ってみてください。
4円切手にもなった、多宝塔!
そんな、広場正面にある硅灰石の視線の先には、石山寺を代表する建築物である、「多宝塔」が建っています。
重要文化財にして、国宝にも指定されているこの多宝塔は、バランスの良い塔として評判の高い建築物で、内部には快慶作の大日如来像を安置し、古くは4円切手にもなったもので、切手収集家などはそのデザインに見覚えがあるのではないでしょうか。
東大門と同じく、「源頼朝」により寄進されたとされるこの石山寺の多宝塔は、1194年に建立されたもので、現在、年代がハッキリしている二重の塔の中では、日本最古のものと言われています。
下層が三間方形で、上層が円形となっており、桧皮葺きの多宝塔の姿は、色彩こそ異なれど、真言密教の象徴と言うべき、「高野山」の「金剛峰寺」にある「根本大塔」をスケールダウンさせたような感じで、実に見事なものとなっています。
塔の内部の柱や天井廻りには、仏像や草木の絵が描かれており、その中心には、こちらはハッキリと「快慶」作と伝わる「大日如来像」が安置されています。
この多宝塔は、素人玄人問わず、そのバランスの良さや美しさを称える方が多い塔ですので、距離や位置を変え、いろいろな角度から眺めてみてください。
階段下から樹木に囲まれた塔を見るのも良し、上にあがって、塔だけを横から眺めるも良し、是非とも時間をかけて見て頂きたい建物です。
この他にも、この石山寺境内には、重要文化財に指定されている「鐘楼」や「心経堂」など、たくさんのお堂がありますが、中でも「月見亭」は人気のスポットとなっています。
瀬田川を眼下に見下ろす高台に建つ月見亭は、文字通り、名月を楽しむところであり、ここから望む月は、実に趣のあるものと言われています。
その美しさは今も昔もすばらしいものだったらしく、あの俳聖「松尾芭蕉」も幾度と無くこの石山寺を訪れては、近江八景 「石山の秋月」の景観を楽しみ数々の句を詠んだと言われています。
日中の、瀬田川越しの琵琶湖の眺望も楽しめますので、是非足を伸ばしてみてください。
春はちょっと遅めの桜が咲き誇り、秋にはそれは見事な紅葉が楽しめる、この石山寺。
あまりにも有名なため、なかなか落ち着いた雰囲気で境内を楽しむことは難しくなってきていますが、広い境内ですので、四季折々の花をゆっくり楽しみながら、歴史あるお寺を散策してみてください。 |
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