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名護屋城跡 Vol . 74 名護屋城跡(佐賀県)
      ‐ Saga ‐
名護屋城跡 佐賀
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肥前の国、今の佐賀県の北の端、玄界灘に面し、遠く朝鮮半島を望む地に、かつて豪華絢爛なそれはそれは壮大なお城が建っていました。
 
名護屋城跡 本丸からの眺めそのお城の築城を命じた人物は、当時日本を我が物としていた「羽柴秀吉豊臣秀吉)」でした。
 
天下人秀吉が、朝鮮出兵に際し、その拠点として、松浦党波多氏の古城を改築して造らせたお城・・・、それが、この『名護屋城』です。
 
金の鯱(しゃちほこ)が有名な、愛知県の「名古屋城」とは同じ読みをしますが、実はこの名護屋城も、金箔をふんだんに使った、それはそれは豪勢な天守閣を擁した、実に巨大なお城でした。
 
天下統一を成し遂げた秀吉が好んだ、居城「大阪城」に並ぶとも称されたこの名護屋城は、晩年の秀吉の威勢を示すと同時に、愚行を物語るお城となりました。
 
 
 
文禄・慶長の役
 
この名護屋城の建築は、秀吉が思い描いた朝鮮半島、さらにはへの勢力拡大の夢から起こりました。
 
名護屋城跡 本丸跡碑天下平定を成しえた秀吉の次なる矛先は、よりによって、遠く海のかなたの大陸への進出でした。
 
秀吉は、自ら上り詰めた関白職を、甥の「秀次」に譲ってまでして、この朝鮮への進出に注力し、その出兵基地としての役目を、この名護屋城に託しました。
 
名護屋城が完成して間も無い1592年4月、ついに朝鮮出兵の火蓋が切られ、「文禄の役(壬辰倭乱)」がはじまりました。
 
朝鮮半島に渡った秀吉の軍勢は、開戦当初こそ、16万と言われた大軍により、優勢に進軍して行きましたが、慣れない地での戦いに問題も多く、次第に押されだし、義勇軍や明の援軍など思わぬ敵の出現などにもあい、苦戦をしいられました。
 
補給線も途絶えだし、思惑通りの戦果もあげられないまま膠着状態が続く中、一時は納まりかけた休戦を勧めるべく、取り巻きによる偽りの和平交渉も、逆に秀吉の逆鱗に触れ失敗に終わり、和平への道が途絶えた秀吉軍は、1597年2月、再度朝鮮半島へ向けて、14万の軍を出兵させることとなりました。
 
しかしながら、この「慶長の役(丁酉再乱)」も、戦果をあげるどころか、一進一退のさらに悲惨な状況下での戦いとなり、戦の意義を見失いかけた武将達の士気も上がらず、泥沼の戦いをしいられました。
 
先が見えず、もはや落としどころのない戦況の中、最後は1598年8月18日、秀吉自身の死をもって、秀吉最大の愚行と言われたこの朝鮮出兵が幕を閉じました。
 
人生のはかなさを詠った秀吉の辞世の句、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」のように、朝鮮出兵の野望もまた、「夢のまた夢・・・」に終わりました。
 
 
 
5層7階の名護屋城天守閣
 
そんな悲惨な歴史の1ページに登場する名護屋城の天守台には、今では屏風絵でしかその姿をうかがい知れぬ、5層の「天守閣」が築かれていました。
 
名護屋城跡 本丸跡碑名護屋城跡の「大手口」より、「三の丸」を抜け「本丸跡」の広場に着き、海側へと足を進めると、そこには遠く壱岐対馬を望む玄界灘のすばらしい眺めが広がっています。
 
そんな東西145m、南北125m5000坪を有に超える本丸跡の広場の西北の角に、その天守台がありました。
 
そしてそこに、豪華絢爛な5層7階の名護屋城天守閣がそびえていました。
 
現在の本丸跡ですら、すばらしい眺望が開けているのですから、 「姫路城」や「大阪城」などの天下の名城と同じ、この5層の名護屋城天守閣からは、さぞや雄大かつすがすがしい玄界灘の光景が望めたものと想像できます。
 
この名護屋城天守閣から、遠く朝鮮半島を見据えた秀吉は、どのような気持ちで、眼下に広がるこの光景を眺めていたのでしょうか。
 
 
 
全国の大名が集結した名護屋城!
 
そんな名護屋城の築城は、1591年に行われました。
 
この名護屋城の築城にあたって秀吉は、 諸大名に作業を分担させて造らせるという、秀吉お得意の「割普請」(わりふしん)を用いたとされています。
 
名護屋城跡 大手口作業分担による、大名同士の責任の明確化と、競争心をあおるその手腕により、わずか半年足らずで、この巨大な名護屋城を造り上げたと言われています。
 
最上段の「本丸」を中心に、「二の丸」、「三の丸」、「遊撃丸」、「東出丸」、「弾正丸」、「山里丸」、「台所丸」などが築かれ、名護屋城の正面にあたる「大手口」の他、「山里口」、「船手口」など、5つの門が造られ、さらには、三の丸から本丸への入口には、後に国宝にも指定された、2層の「大手門」がそびえていました。
 
名護屋城の北側一帯には、その形が鯱(しゃち)に似ていることからその名が付いたとされる、「鯱鉾池」(しゃちほこいけ)と呼ばれる堀がめぐらされました。
 
名護屋城の周囲3kmにわたっては、160余りにも及ぶ、全国の諸大名の陣が敷かれました。
 
現在、その大半に及ぶ130余りの陣跡が確認されており、その中でも「徳川家康」をはじめ、「加藤清正」や「前田利家」など、20を超える陣跡が、国の特別史跡となって保存されています。
 
諸大名の陣跡からは、「土塁」などの本来の戦場としての装いを見せる一方で、「茶室」や「能舞台」の跡なども見つかっており、長期滞在を意識した、邸宅としての役割も兼ねていたことが、発掘によりわかってきました。
 
秀吉の方針に心底従う者、ポーズのみとっていた者、高みの見物と決め込んでいた者などなど、いずれの大名も、それなりに腹をくくって、この名護屋城に出向いていたのではないでしょうか。
 
 
 
秀吉が見た夕陽に、惚れこんだ黒澤明!
 
そんな名護屋城は、造らせた人物が人物だけに、造った人物も「黒田長政」、「小西行長」など、そうそうたる武将が手掛けており、この名護屋城の設計は、難攻不落の「熊本城」の築城で有名な、「加藤清正」が中心になって行われたと言われています。
 
名護屋城跡 大手口また秀吉同様、清正もこだわった石垣造りには、あの近江の国の「穴太衆」(あのうしゅう)を、わざわざ呼び寄せて造らせたものでした。
 
しかしながら、個人的には、この名護屋城の石垣は、スケール感はあるものの、突貫工事ゆえか、若干石垣の美しさに欠ける感じがします。
 
名護屋城そのものが、山里丸の石垣など一部を除き、自然荒廃した現状もあり、そう感じるのかもしれませんが、そんな名護屋城の荒廃したイメージは、「黒澤明」監督の代表作品の1つであり、「仲代達矢」のインパクトある風貌と演技に圧倒された、映画 「」のなかでも登場しました。
 
黒澤監督が、ロケ地としてこの名護屋城を選んだのも、今となれば、なんとなくわかる気がします。
 
この時、黒澤監督が、撮影中に見た、この肥前の国からの、玄界灘に沈むゆく夕陽の眺めに惚れこみ、「黒澤明記念館」の建設予定地を、今の伊万里にして欲しい・・・と、希望したと言われています。
 
そんな数々の伝説が眠る名護屋城の終焉は突如訪れました。
 
豪華絢爛の天守閣を誇った名護屋城は、秀吉の死とともに、その存在意義を失い、秀吉の後を追うように、江戸時代初頭に廃城となり、「唐津城」建築の際の資材とされたり、かねてからの約束により、大手門は、仙台藩主「伊達政宗」により、「仙台城」(青葉城)の大手門として移築されて行きました。
 
この仙台城の大手門は、長くその姿を後世に留め、国宝にまで指定されましたが、惜しくも1945年の仙台大空襲の際に戦火にあい、焼失してしまいました。
 
往時の名護屋城の姿を残すものとしては、この本丸城址の崩れかけた巨大な石垣と、この名護屋城跡周辺に残る諸大名の陣屋跡など、ごくわずかなものだけとなってしまいました。
 
まだまだ全容がはっきりと掴めていない、謎多き名護屋城の姿に、ロマンを感じる方も多いようですが、今後、発掘などにより、新しい事実が判明していくのかもしれません。
 
 
 
名護屋城博物館
 
この名護屋城跡の入口近くには、「名護屋城博物館」があります。
 
名護屋城跡 大手口ここでは、名護屋城に関する資料や模型の展示、ミニシアターやビデオ映像による解説などが見られ、楽しみながら名護屋城についての知識が得られるようになっています。
 
登城前に訪れ、知識を蓄えて望むも良し、ガイド片手にお城を見学してから、復習の意味で最後に訪れてもいいのではないでしょうか。
 
いずれにしても、多くの方が滅多に訪れることができる場所ではないと思いますので、名護屋城跡にお越しの際には、名護屋城博物館も見学されることをおすすめします。
 
また、お帰りの際には、城下の「桃山天下市」ものぞいて見て下さい。
 
かつて秀吉も見たであろう夕陽に、巨匠黒澤明監督も惚れこんだ・・・、そんな場所、名護屋城跡。
 
みなさんも一度、天下統一を果たした男が、総力をあげて築いたこの名護屋城の本丸跡に立って、玄界灘に沈み行く夕陽を眺めてみませんか。
 
 
  
 
■ 名護屋城跡 〜 星★聖 の ひとこと 〜
天下統一を成し遂げた男、羽柴秀吉の威勢と愚行を感じられる場所、それが「名護屋城跡」です。 
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