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熊本城 Vol . 55 熊本城(熊本県)
      ‐ Kumamoto ‐
熊本城 熊本
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熊本城 関連】
熊本城―偉容誇る大小の天守・石垣 伝記 加藤清正
加藤清正と熊本城
 
姫路城」「名古屋城」とともに、「日本三名城」(大阪城という説もあり・・)と称せられ、「森の都」と言われる54万石の城下町「熊本」のシンボルとなっているのが、この 『熊本城』です。
 
熊本城の大天守熊本の中心地にあり、周囲には市役所や「熊本県立美術館」、「熊本博物館」、「旧細川刑部邸」などの観光施設があります。
 
熊本城は、熊本の地を治めることとなった、戦国武将「加藤清正」により、1601年から7年の歳月をかけ、1607年に「茶臼山」に築城された平山城です。
 
加藤清正築城以前にも、この茶臼山には、「出田秀信」(いでたひでのぶ)などにより築かれた城があったとされていますが、現在の熊本城のもとは、加藤清正により築城されたものとなっています。
 
加藤清正と言えば、物語にもなっている「トラ退治」が有名ですが、9歳豊臣秀吉に仕え、1583年の「賎ヶ岳の戦い」の功労で、3000石を賜り、福島正則らとともに「七本槍」に数えられるまでとなりました。
 
その後、一年足らずでこの熊本統治に失敗した、「佐々成政」の後を受け、1588年に肥後の国、熊本の大名にのし上がりました。
 
加藤清正と言えば、映画やドラマの世界では、荒っぽい気性で、喧嘩っぱやい武将のイメージで、描かれることが多く、三国志でいうところの、「張飛」のような豪傑の感じで描かれますが、実際には、武勇もさることながら、土木治水工事をはじめとした、国を治める能力に、非常にたけた人物でした。
 
熊本城の頬当御門三国志で言えば、「張飛」というよりは、むしろ荊州(けいしゅう)の地を任された、「関羽」に近い人物であったように思われます。
 
熊本に入城して以来、肥後の国の発展に貢献し、広く領民に親しまれてきた清正は、当初「隈本」であった地名を、熊本城の落成に際して「熊本」に改称したと言われています。
 
その後、加藤家は、残念ながら2代 44年で改易となってしまいましたが、替わりに入城した「細川家11代 239年の間、この熊本城は、その居城として時代を超えることとなりました。
 
 
 
戦を知り尽くした、清正流 城づくり
 
熊本城の城郭は、周囲5.3km、面積98万uで、東京ドーム21個分の広さを有します。
 
熊本城の大小天守閣大小2つの「天守閣」に、49の「櫓」、18の「櫓門」、29の「城門」を配する、豪勢な構えのお城で、軒下の白壁以外、黒の下見板で囲まれた熊本城の風格は、白鷺城の名で知られ、天下の名城と称せられる姫路城とは、対照的なつくりとなっています。
 
大天守は、3層6階 地下1階で、その高さは約30mで、二層の優美な千鳥破風に、唐破風が重なる構えで、その色彩と相まって、重厚なイメージをつくりあげています。
 
小天守は、高さ約19mで、2層4階のつくりとなっており、大天守の北側に位置しています。
 
また、加藤清正の求める城造りは、周囲の櫓や櫓門などすべてが、何処から攻められてもいいように、そして、すべてが戦の中心として機能できるように、戦いを強く意識した実践的なつくりが基本となっていました。
 
熊本城の西大手門自然の地形を最大限生かした「水堀」や「空堀」(からぼり)、城内すべての櫓に設けられた「石落し」、敵の進行を鈍らせる、一段一段奥行きと高さの異なる「石段」、石垣をのぼってくるくせ者を追い返す「忍返」(しのびがえし)、身を隠しながら、槍や鉄砲を使うための「狭間」(さま)など、あらゆる攻撃や、万が一の城内戦まで考慮した、徹底的に戦にこだわったつくりに、加藤清正の城郭建築のこだわりと魂を感じます。
 
どこの城でも、このような仕掛けは目にしますが、ひとつひとつのこだわり様や、実践を強く意識したその仕様と配置の妙、そして何よりも突破された際のことまで考え抜いた、二重三重の防御策など、数々の戦を戦ってきた男ならではの経験が、この熊本城の造りに活きているように感じます。
 
観光気分で、ただ天守閣目指して歩いていると、気付かない仕掛けもたくさんありますので、事前に熊本城の見どころをチェックしてから、見学してみてください。
 
 
 
戦火を逃れ、400年生き抜いた宇土櫓
 
そんな熊本城の天守閣の西方に、見るからに天守閣とは異なる雰囲気の構えを見せている建物があります。
 
宇土櫓それが、「西南戦争」での戦火を生き抜き、国の重要文化財に指定されている「宇土櫓」(うとやぐら)です。
 
3層5階 地下1階のこの宇土櫓は、天守閣とは対照的な、直線的な破風で構成されており、築城も、関が原の戦い以前の慶長年間とされています。
 
熊本城の「第三の天守」とも言われるこの宇土櫓は、一説には、「小西行長」の居城であった「宇土城」の天守閣を移築したのでは・・・との説もあり、この櫓の名の由来にもなっています。
 
最上階の望楼の形といい、この宇土櫓だけをみれば、一見熊本城の天守閣だと言われてもわからないほど、実にすばらしい造りとなっています。
 
内部は、400年以上の年月を生き抜いてきた歴史ある建物とあって、さすがに古さを感じる部分もありますが、例外なく戦を前提とした、狭間や石落しなどが設けられています。
 
宇土櫓の内部宇土櫓の内部宇土櫓の狭間












 
加藤神社」側の、空堀から積まれた石垣にそびえる宇土櫓の眺めは壮観で、天守閣とは違った熊本城のもう1つの顔にもなっています。
 
 
 
穴太衆による、清正流石組
 
そして、何と言っても、この熊本城を語る上で忘れてならないのが、近江の国の「穴太衆」(あのうしゅう)により築かれた、見事な「石垣」です。
 
熊本城の石垣熊本城の最大の特徴であり、一番の見どころとも言えるこの石垣は、実にゆるやかにして伸びやかな石垣です。
 
日本全国、多くの城郭に見る石垣とは、一目でその違いがわかるほど、裾野の広いつくりとなっており、積み方も江戸時代に主流だった「算木積」(さんぎづみ)ではなく、「穴太積」(あのうづみ)となっています。
 
この熊本城の石垣は、特に「清正流石組」と言われ、下は30度くらいと、他の城に比べて、かなりゆるやかな勾配となっているのですが、最上部では75度と絶壁になっており、「武者返し」の異名をとっています。
 
一説には、土木治水に明るい加藤清正が、地盤がそれほど良くないこの地を考慮して、裾野を広くしたとの説もありますが、加藤清正は、この石垣を築く上で、当時、石垣造りのプロ集団であった穴太衆を、わざわざ近江から招いており、妥協を許さない築城にかける清正の想いが、ここに感じられます。
 
熊本城内には、加藤清正が築いた石垣と、後の細川家が築いた石垣が並びそびえている「二様の石垣」があり、横から見ると、穴太積と算木積の石組みの違いとともに、その反りの違いが一目瞭然で見て取れます。
 
熊本城の西出丸長塀是非とも見逃さずに、石組と反りの違いを、御自身の目でご覧になって下さい。
 
また、重要文化財にも指定されている、坪井川沿いの全長242.44mの日本一長い「長塀」の眺めは、圧巻です。
 
周囲の草木の緑とも相まって、実にコントラストのきいた美しい眺めが楽しめますので、こちらも見逃さないでください。
 
 
 
難攻不落!熊本城
 
そんな熊本城は、別名「銀杏城」(ぎんなんじょう)と呼ばれており、茶臼山に堂々たる構えを見せていますが、この銀杏城の呼び名は、加藤清正が城内に植えた「大銀杏」(おおいちょう)の木に由来するものと言われ、今も本丸には銀杏の木が植わっています。

熊本城の大天守この時、加藤清正は、この銀杏の木が成長して天守閣を越える頃、戦乱が起きると予言していました。
 
皮肉にもその予言どおり、1877年に、「西郷隆盛」を盟主とする西南戦争が起き、当時「熊本鎮台」が置かれていた熊本城は、戦火に呑みこまれる事となりました。
 
激闘で知られる「田原坂の戦い」など、この西南戦争での熊本城をめぐる攻防戦は死闘をきわめ、熊本鎮台は、西郷隆盛率いる薩摩軍を見事撃退するも、その戦いの火蓋がきられる2日前に、熊本城の大小天守閣など本丸の中心部は、既に焼失していました。
 
鎮台による苦肉の自焼説や、放火説、失火説など、今もいろいろな説が唱えられていますが、これにより天下の名城も、宇土櫓他12棟を残すだけとなってしまいました。
 
しかしながら、1万数千と言われた薩摩軍の3日に及ぶ猛攻撃を、篭城兵わずか3000余りで守りきり、その後52日間落城することなく、薩摩軍を見事退けた熊本城は、加藤清正の築城技術のすばらしさを証明すとともに、「難攻不落の城」として、その名をゆるぎないものとしました。
 
それから幾多の年を越え、西南戦争で炎に消えた熊本城の天守閣は、昭和に入った1960年に、熊本市により再建されました。
 
 
 
壮大なロマン!熊本城復元計画
 
加藤清正が築城した98ヘクタールの城郭全体を対象に、往時の姿に復元整備する!」を目標に掲げた、壮大な熊本城復元計画がスタートし、櫓や門などが次々に往時の姿を取り戻す中、築城400年にあたる2008年春に、最大の見せ場となる「本丸御殿」が復元されました。
 
熊本城の大天守わたしが訪れた際は、本丸御殿の再建中で、天守閣をしのぐほどの、壮大なスケールでの復元作業が続けられていました。
 
1998年に始まった、 「熊本城一口城主」の名のもとに、1万円以上の寄附をされた方を城主として、「城主証」の発行と天守閣にご芳名を掲示するという、一風変わった募金活動も 、15億円の目標に向けて、県民が一致団結して取り組んで成果があり、かなりの金額が集まりました。
 
文化財の保護や再建には、莫大な費用と多くの技術者の労力が必要となります。
 
全国各地、再建したくても元手が無いという自治体も多く、また再建しようにも、すでにどうしようもない状態の城址も多々あります。
 
そんな中、すべてが再建されるのは、まだまだ何十年先かもしれませんが、加藤清正築城当時の姿を目指す熊本城の試みは、すばらしいものであり、ロマンあふれる事業だと思います。
 
天守閣をも凌ぐ壮大なスケールで復元された本丸御殿の姿をとともに、築城の名士加藤清正が築いた熊本城の勇姿を見に、是非みなさんも熊本城を訪れてみてください。
 
 
  
 
■ 熊本城 〜 星★聖 の ひとこと 〜
加藤清正が施した様々な仕掛けと、大小天守閣の重厚な佇まい、そして壮大なスケールで復元された本丸御殿を見に、是非とも「熊本城」へ!
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