熊本県旅行観光ガイド『熊本城
熊本城 Vol . 55
熊本城
(熊本県 熊本市)
‐ Kumamoto ‐
熊本
Presented By 星★聖
熊本城(熊本 肥後)
国内旅行観光ガイド『名勝・史跡★百景』 > 熊本城 熊本城をご覧になるにあたって
熊本城の評価
熊本城の評価
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■ 熊本城とは?

 熊本県にある、周囲5.3km 面積98万㎡の、大小2つの天守閣に49の櫓・18の櫓門・29の城門を配した城郭。天守は1960年に再建された復元天守ながら、国の重要文化財である「宇土櫓」をはじめ石垣などに、難攻不落と言われた加藤清正の築城へのこだわりが見られる。
 自然の地形を最大限生かした水堀や空堀、城内すべての櫓に設けられた石落し、敵の進行を鈍らせる一段ごとに異なる石段、至る所にある狭間など、あらゆる攻撃や城内戦まで考慮した徹底的に戦にこだわった造りは見もので、中でも清正流石組と言われる、武者返しの異名を持つ穴太衆による打ち込みハギの石垣は圧巻。また、食糧の備えとして植えられた大銀杏や梅や竹、芋茎の畳、干瓢を塗篭めた土壁、120余の井戸など、籠城戦への備えも抜かりがない。
 過剰とも思える城の備えと、「本丸御殿」に豊臣秀頼を迎えるべく造られたのでは…とされる「昭君之間」があることから、清正が徳川家との戦を想定して備えた城とも言われている。
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おすすめシーズン
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
お花見 紅葉
門や塀、石垣に櫓など、難攻不落の城としての配置や仕掛けに注目!
大小天守や本丸御殿に目が行くが、宇土櫓見学こそ大事!
石垣の違いを見逃すな! 誰でも角度や積み方の違いはすぐわかるぞ!
~ 熊本城 編 ~ 温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)
熊本城の見所
西大手門 頬当御門 大小2つの天守
西大手門 頬当御門 大小2つの天守
三ヶ所ある大手門の中で最も格式のある門。細川忠利公の逸話から、門をくぐる際には真中を通らず端を通るように…とのこと。 ここからいよいよ天守閣という感じになります。正面に見える大天守を顔に見立てて、この門が甲冑の頬当てに見えることからその名がついたとされる。 二層の優美な千鳥破風に唐破風が重なる、高さ約30mで3層6階地下1階の大天守と、その北側に位置する高さ約19mで2層4階地下一階の小天守。
一の天守と言われる大天守 復元天守 宇土櫓
一の天守と言われる大天守 復元天守 宇土櫓
大小2つの天守閣に、49の櫓、18の櫓門、29の城門を配し、黒の下見板で囲まれた熊本城の風格は、白鷺城として知られる姫路城とは対照的な姿を見せる。 一の天守と言われる大天守は、内部に入ればお分かりのように、小天守ともども1960年に鉄筋コンクリートで再建された復元天守である。 熊本城の三の天守とも言われる宇土櫓は、宇土からきた敗戦の将であった小西行長の家臣たちが、この櫓を守ったことからこう呼ばれたのではとのこと。
連格子窓と狭間が続く 狭間 国の重要文化財
連格子窓と狭間が続く 狭間 国の重要文化財
宇土櫓の内部は、櫓というよりはやはり天守閣と言ってもよいくらいの広さと遜色の無い造りをしている。かつてはこの規模の櫓が6つ建っていたとか。 宇土櫓にある鉄砲や矢を放つための狭間。熊本城では至る所に四角い狭間が見られる。長めの長方形が矢狭間、短い長方形が鉄砲狭間となっている。 宇土櫓は国の重要文化財だけあって、400年以上の年月を経た歴史ある建築物の造りは凄い。太い柱や梁などその木組みだけでなく床板の節なども興味深い。
打ち込みハギによる穴太積の石垣 算木積みの石垣 長塀が魅力の熊本城
打ち込みハギによる穴太積の石垣 算木積みの石垣 長塀が魅力の熊本城
清正流石組と言われ、下は30度くらいと、他の城に比べて、かなりゆるやかな勾配となっている。最上部は75度で「武者返し」の異名をとっている。 細川家が築いたとされる石垣で、反りも少なく急勾配でコーナーが算木積みとなっている。時代とともに変化した石垣の歴史もわかる。 長塀が魅力の熊本城。坪井川沿いには、重要文化財に指定されている、全長242.44mの日本一長い長塀もある。
熊本城の地図
基本情報
■名称:熊本城
■読み方:くまもとじょう
■ホームページ:熊本城
■所在地:熊本県熊本市本丸1-1
■問合せ:096-352-5900
観光情報
熊本県グルメ情報
星★聖の名勝・史跡探訪記 『熊本城』 編

加藤清正と熊本城!

姫路城」「名古屋城」とともに、「日本三名城」(大阪城という説もあり・・)と称せられ、「森の都」と言われる54万石の城下町熊本のシンボルとなっているのが、この 『熊本城』です。

熊本の中心地にあり、周囲には市役所や「熊本県立美術館」、「熊本博物館」、「旧細川刑部邸」などの観光施設があります。

熊本城は、熊本の地を治めることとなった、戦国武将加藤清正により、1601年から7年の歳月をかけ、1607年茶臼山に築城された平山城です。

加藤清正築城以前にも、この茶臼山には、出田秀信(いでたひでのぶ)などにより築かれた城があったとされていますが、現在の熊本城のもとは、加藤清正により築城されたものとなっています。

加藤清正と言えば、物語にもなっているトラ退治が有名ですが、9歳豊臣秀吉に仕え、1583年の「賎ヶ岳の戦い」の功労で、3000石を賜り、福島正則らとともに七本槍に数えられるまでとなりました。

その後、一年足らずでこの熊本統治に失敗した、佐々成政の後を受け、1588年に肥後の国、熊本の大名にのし上がりました。

加藤清正と言えば、映画やドラマの世界では、荒っぽい気性で、喧嘩っぱやい武将のイメージで、描かれることが多く、三国志でいうところの、「張飛」のような豪傑の感じで描かれますが、実際には、武勇もさることながら、土木治水工事をはじめとした、国を治める能力に、非常にたけた人物でした。

三国志で言えば、「張飛」というよりは、むしろ荊州(けいしゅう)の地を任された、「関羽」に近い人物であったように思われます。

熊本に入城して以来、肥後の国の発展に貢献し、広く領民に親しまれてきた清正は、当初「隈本」であった地名を、熊本城の落成に際して「熊本」に改称したと言われています。

その後、加藤家は、残念ながら2代 44年で改易となってしまいましたが、替わりに入城した細川家 11代 239年の間、この熊本城は、その居城として時代を超えることとなりました。


戦を知りつくした清正流の城づくり!

熊本城の城郭は、周囲5.3km、面積98万㎡で、東京ドーム21個分の広さを有します。

大小2つの天守閣に、49の櫓、18の櫓門、29の城門を配する、豪勢な構えのお城で、軒下の白壁以外、黒の下見板で囲まれた熊本城の風格は、白鷺城の名で知られ、天下の名城と称せられる姫路城とは、対照的なつくりとなっています。

一の天守と言われる大天守は、高さ約30m3層6階 地下1階で、二層の優美な千鳥破風に唐破風が重なる構えで、その色彩と相まって、重厚なイメージをつくりあげていますが、内部に入ればお分かりのように、小天守ともども1960年に、鉄筋コンクリートで再建された復元天守となっています。

二の天守と言われる小天守は、高さ約19m2層4階地下一階のつくりとなっており、大天守の北側に位置しています。

また、加藤清正の求める城造りは、周囲の櫓や櫓門などすべてが、何処から攻められてもいいように、そして、すべてが戦の中心として機能できるように、戦いを強く意識した実践的なつくりが基本となっていました。

自然の地形を最大限生かした水堀空堀(からぼり)、城内すべての櫓に設けられた石落し、敵の進行を鈍らせる、一段一段奥行きと高さの異なる石段、石垣をのぼってくる敵やくせ者を追い返す武者返し・忍返し、身を隠しながら、槍や鉄砲を使うための狭間(さま)など、あらゆる攻撃や、万が一の城内戦まで考慮した、徹底的に戦にこだわったつくりに、加藤清正の城郭建築のこだわりと魂を感じます。

どこの城でも、このような仕掛けは目にしますが、ひとつひとつのこだわり様や、実践を強く意識したその仕様と配置の妙、そして何よりも突破された際のことまで考え抜いた、二重三重の防御策など、数々の戦を戦ってきた男ならではの経験が、この熊本城の造りに活きているように感じます。

観光気分で、ただ天守閣目指して歩いていると、気付かない仕掛けもたくさんありますので、事前に熊本城の見どころをチェックしてから、見学してみてください。


戦火を逃れ400年行きぬいた宇土櫓

そんな熊本城の天守閣の西方に、見るからに大天守とは異なる雰囲気の構えを見せている建物があります。

それが、西南戦争での戦火を生き抜き、国の重要文化財に指定されている「宇土櫓」(うとやぐら)です。

地上約19m3層5階 地下1階のこの宇土櫓は、大天守とは対照的な、直線的な破風で構成されており、築城も、関が原の戦い以前の慶長年間とされています。

熊本城の三の天守とも言われるこの宇土櫓は、一説には小西行長の居城であった「宇土城」の天守閣を移築したのでは・・・との説もあり、この櫓の名の由来にもなっているとされましたが、現在は否定的な意見が多いようです。

代わって城下に住まわせた、宇土からきた敗戦の将であった小西行長の家臣たちが、この櫓を守ったことからこう呼ばれたのでは・・・という説が主流のようです。

最上階の望楼の形といい、この宇土櫓だけをみれば、一見熊本城の天守閣だと言われてもわからないほど、実にすばらしい造りとなっています。

内部は、400年以上の年月を生き抜いてきた歴史ある建物とあって、さすがに古さを感じる部分もありますが、例外なく戦を前提とした、狭間や石落しなどが設けられています。

加藤神社側の、空堀から積まれた石垣にそびえる宇土櫓の眺めは壮観で、天守閣とは違った熊本城のもう1つの顔にもなっています。


穴太衆による、清正流石組

そして、何と言っても、この熊本城を語る上で忘れてならないのが、近江の国の穴太衆(あのうしゅう)により築かれた見事な石垣が残っていることです。

熊本城の最大の特徴であり、一番の見どころとも言えるこの石垣は、実にゆるやかにして伸びやかな石垣です。

日本全国、多くの城郭に見る石垣とは、一目でその違いがわかるほど、裾野の広いつくりとなっており、積み方も江戸時代に主流だった算木積(さんぎづみ)ではなく、打ち込みハギによる穴太積(あのうづみ)になっています。

この熊本城の石垣は、特に清正流石組と言われ、下は30度くらいと、他の城に比べて、かなりゆるやかな勾配となっているのですが、最上部では75度と絶壁になっており、武者返しの異名をとっています。

一説には、土木治水に明るい加藤清正が、地盤がそれほど良くないこの地を考慮して、裾野を広くしたとの説もありますが、加藤清正は、この石垣を築く上で、当時、石垣造りのプロ集団であった穴太衆を、わざわざ近江から招いており、妥協を許さない築城にかける清正の想いが、ここに感じられます。

熊本城内には、加藤清正が築いた石垣と、後の細川家が築いた石垣が並びそびえている二様の石垣があり、横から見ると、打ち込みハギによる穴太積と算木積の石組みの違いとともに、その反りの違いが一目瞭然で見て取れます。

是非とも見逃さずに、石組と反りの違いを、御自身の目でご覧になって下さい。

また、重要文化財にも指定されている、坪井川沿いの全長242.44mの日本一長い長塀の眺めは圧巻です。

周囲の草木の緑とも相まって、実にコントラストのきいた美しい眺めが楽しめますので、こちらも見逃さないでください。


難攻不落の熊本城

そんな熊本城は、別名「銀杏城」(ぎんなんじょう)と呼ばれており、茶臼山に堂々たる構えを見せていますが、この銀杏城の呼び名は、加藤清正が城内に植えた大銀杏(おおいちょう)の木に由来するものと言われ、今も本丸には銀杏の木が植わっています。

この時、加藤清正は、この銀杏の木が成長して天守閣を越える頃、戦乱が起きると予言していました。

皮肉にもその予言どおり、1877年に、西郷隆盛を盟主とする西南戦争が起き、当時「熊本鎮台」が置かれていた熊本城は、戦火に呑みこまれる事となりました。

激闘で知られる「田原坂の戦い」など、この西南戦争での熊本城をめぐる攻防戦は死闘をきわめ、熊本鎮台は、西郷隆盛率いる薩摩軍を見事撃退するも、その戦いの火蓋がきられる2日前に、熊本城の大小天守閣など本丸の中心部は、既に焼失していました。

鎮台による苦肉の自焼説や、放火説、失火説など、今もいろいろな説が唱えられていますが、これにより天下の名城も、宇土櫓他12棟を残すだけとなってしまいました。

しかしながら、1万数千と言われた薩摩軍の3日に及ぶ猛攻撃を、篭城兵わずか3000余りで守りきり、その後52日間落城することなく、薩摩軍を見事退けた熊本城は、加藤清正の築城技術のすばらしさを証明すとともに、難攻不落の城として、その名をゆるぎないものとしました。

それから幾多の年を越え、西南戦争で炎に消えた熊本城の天守閣は、昭和に入った1960年に、熊本市により再建されました。


甦る!熊本城本丸御殿

「加藤清正が築城した98ヘクタールの城郭全体を対象に、往時の姿に復元整備する!」を目標に掲げた、壮大な熊本城復元計画がスタートし、櫓や門などが次々に往時の姿を取り戻す中、築城400年にあたる2008年春に、最大の見せ場となる「本丸御殿」が復元されました。

わたしが訪れた際は、本丸御殿の再建中で、天守閣をしのぐほどの、壮大なスケールでの復元作業が続けられていました。

1998年に始まった、 熊本城一口城主の名のもとに、1万円以上の寄附をされた方を城主として、城主証の発行と天守閣にご芳名を掲示するという、一風変わった募金活動も、15億円の目標に向けて、県民が一致団結して取り組んで成果があり、かなりの金額が集まりました。

文化財の保護や再建には、莫大な費用と多くの技術者の労力が必要となります。

全国各地、再建したくても元手が無いという自治体も多く、また再建しようにも、すでにどうしようもない状態の城址も多々あります。

そんな中、すべてが再建されるのは、まだまだ何十年先かもしれませんが、加藤清正築城当時の姿を目指す熊本城の試みは、すばらしいものであり、ロマンあふれる事業だと思います。

天守閣をも凌ぐ壮大なスケールで復元された本丸御殿の姿をとともに、築城の名士加藤清正が築いた熊本城の勇姿を見に、是非みなさんも熊本城を訪れてみてください。
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