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唐津焼で有名な城下町
かつて日本中を席巻した、はなわの「♪S・A・G・A 佐賀!」の歌で有名な佐賀県の北西部、玄界灘に面する「唐津」(からつ)の街に、市内を見下ろすようにそびえているのが、この『唐津城』です。
古くから大陸の出入口として栄えた唐津の町は、14世紀には、すでに唐津という地名があったとされるほど、歴史ある町となっています。
そんな唐津と言えば、なんと言っても真っ先に思い浮かぶのが、みなさんご存知の「唐津焼」です。
どれが唐津焼かわからずとも、その名を口にするほど有名なように、この唐津の町から全国に、陶器が広まったとされています。
「萩焼」、「楽焼」とともに、「日本三大陶器」とされる唐津焼は、「有田焼」などの派手な絵柄の器とは対照的に、土の風合いを生かした、素朴で深奥な作風が魅力となっています。
唐津地方特有の、「登り窯」により生まれるこの唐津焼は、使い込むうちにどんどん渋みを増し、魅力的な一品へと変化していくのが特徴で、どこかわび・さびを感じる、そんな芸術性を持った焼物として知られており、多くの茶人に愛されてきました。
陶器のことを、太平洋側を中心に、一般的には「せともの=瀬戸焼」と言うのに対して、今でも瀬戸内海や日本海側の一部では、「からつもの」と言われるほど、この唐津焼は、多くの人々に親しまれてきました。
時代の鼓動を今に伝える町
そんな焼物で有名な唐津の町ですが、城下町としても、その町並みに、古き良き日本の味わいを残しています。
唐津城の遺構として復元された二層の「三の丸辰巳櫓」や、二の門堀沿いの公園にある「時の太鼓」、唐津市役所前の「肥後掘」などは、かつて城下町として栄えた唐津の町の姿を、今に伝えています。
唐津城にまつわるものが、市内には数多く点在していますが、赤いレンガ造りの重厚な建物が特徴的な「旧唐津銀行」や、日本最古の水田跡とされる「菜畑遺跡」(なばたけいせき)など、また違った歴史を伝える建造物や史跡も点在しており、唐津の町は、時代の鼓動を今に伝える町として息づいています。
唐津城に、天守閣は無かった・・
そんな唐津の町の中心は、なんといっても、市内のあちこちから眺めることができる唐津城です。
五層六階の天守閣を持つこの唐津城は、松浦川の河口、唐津湾に面するところにそびえるお城で、1608年に、「羽柴秀吉」の側近であった、唐津藩初代藩主「寺沢広高」(てらざわひろたか)によって築かれました。
1602年より6年の歳月を要した唐津城の築城に際しては、秀吉の愚行とされる朝鮮出兵の本拠地であった「名護屋城」の解体に伴って搬出された資材を流用し、本格的な築城が行われたとされています。
別名「舞鶴城」(まいづるじょう)と言われるこの唐津城は、天守閣を中心に西に「西の浜松原」、東に「虹の松原」を従え、唐津城を頭としてそれらを鶴の両翼に見立てたことから、舞鶴城と呼ばれるようになったとされています。
ちなみに、「日本三大松原」と言われる、この虹の松原をつくりあげたのも、この寺沢広高だと言われています。
そんな寺沢広高が築き上げた唐津城ですが、実は、築城時には、本丸、二の丸、三の丸しかなく、天守台はあっても天守閣は無かったとされています。
天守閣を造らなかった詳しい理由はわかりませんが、現在の天守閣は、1966年に、時代背景などをもとに、想像上で造り上げられた模擬天守で、残念ながら記録上は、この優雅な佇まいは存在しなかったようです。
実に見栄えのする天守閣であり、お城の立地も含め、今の唐津城の天守閣は、唐津の町の景観にはなくてはならないものとなっているのですが、築城時に、天守台までは築かれていたということから、きっと寺沢広高の頭の中にも、このような天守閣の姿が描かれていたことでしょう。
そんな唐津城の天守閣の内部は、郷土資料館として開放されており、藩政時代の貴重な資料や、甲冑、武具などの展示がされています。
桜や藤の花が咲く季節は、特に美しい眺めとなるこの唐津城ですが、松浦川対岸から、舞鶴橋越しに望む、ライトアップされたお城の夜景もまたすばらしいかぎりです。
夜空に浮かび上がるお城の姿を見た後は、唐津城とは反対側の、揺れる水面に浮かぶ唐津市街の夜景も堪能してみてください。こちらもまたすばらしい眺めですよ。
どちらも、静かな唐津の夜のひと時を楽しませてくれる眺めであり、個人的にはオススメの夜景ですので、唐津を訪れた際は、昼間の唐津城だけでなく、夜空に浮かぶ唐津城の姿も、是非眺めてみてください!
| ■ 唐津城 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
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夜の唐津の町に、ポカンと浮かび上がる唐津城の姿を、是非眺めてみてください! |
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