長崎県旅行観光ガイド『聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂 Vol . 58
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂
(長崎県 平戸市)
‐ Nagasaki ‐
長崎
Presented By 星★聖
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂(長崎 平戸)
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聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の評価
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の評価
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■ 聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂とは?

 長崎県平戸市にある、1931年に建てられた外壁のグリーンとホワイトの配色が印象的なカトリック系の教会で、当初は「平戸カトリック教会」という名称だった。
 1971年に、敷地内に日本にキリスト教をもたらし、平戸にもゆかりのあるフランシスコ・ザビエルの記念像を建立したのをきっかけに、同年7月18日の除幕とともに、教会の名称も「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」へと変更された。
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂のPR
おすすめシーズン
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
外観と内部の配色をはじめ対照的な雰囲気を味わってみよう!
聖堂周辺を歩き回り、見え隠れする聖堂の姿を確認してみよう!
夜空に浮かび上がる、ライトアップされた記念聖堂の姿を見に行こう!
~ 聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂 編 ~ 温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の見所
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂 昼間の聖堂 ライトアップされた聖堂
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂 昼間の聖堂 ライトアップされた聖堂
1931年に建てられたカトリック系の教会で、当初は平戸カトリック教会という名称だった。1971年にザビエルの記念像を建立したのをきっかけに改称された。 真正面から見ると、左右非対称で、右側に小塔が無いのがちょっと物足りなく感じてしまう。外壁のグリーンとホワイトの配色が、これまたとても印象的。 夜空に浮かび上がるようにライトアップされる聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂。十字架をまとった鋭く尖った塔の矛先が闇夜を突き刺すように見える。
十字架 聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂 内部 フランシスコ・ザビエル
十字架 聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂 内部 フランシスコ・ザビエル
尖塔の頂点に位置し、教会のシンボルでもある十字架が、とても美しく輝いて見えるが、実は周囲を歩くとわかるが、教会が見えないような工夫がされている。 教会の内部というのは、外観から想像されるイメージを裏切るモノが多いが、ここも配色だけでなく鋭利なイメージからは程遠いソフトで温かみのある造りだ。 1549年にインドのゴアを出発したザビエル一行は、薩摩国の祇園之洲」あたりに上陸し、日本にキリスト教を伝えたとされる。
平戸殉教者顕彰慰霊之碑 平戸港の眺め 大分県の名菓 ざびえる
平戸殉教者顕彰慰霊之碑 平戸港の眺め 大分県の名菓 ざびえる
異国勢力の力やキリスト教徒の団結力を警戒した豊臣秀吉やそれに続く徳川幕府により弾圧を受け、キリスト教徒たちは隠れキリシタンとなっていった。 平戸港は日本の玄関口として、1641年に出島にオランダ商館が移るまでの間、オランダとの貿易の窓口として栄え、異文化交流の場でもあった。 ざびえるという名は、フランシスコ・ザビエルからきているが、もともとはスペインのナバラ州に残るこの土地の名称だった。
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の地図
基本情報
■名称:聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂
■読み方:せいふらんしすこざびえるきねんせいどう
■ホームページ:
■所在地:長崎県平戸市鏡川町269
■問合せ:0950-22-2442
観光情報
長崎県グルメ情報
星★聖の名勝・史跡探訪記 『聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂』 編

西の都 フィンランド!

長崎県の北部に位置し、かつて日本の玄関として栄えた町があります。

西の都 フィランド」とも言われ、古くからアジア・ヨーロッパと結ばれ、大陸との交易の要所として開けていたところ、それが、「オランダ商館」があった町、平戸です。

1641年に、同じ長崎県の「出島」に、オランダ商館が移るまでの間、オランダとの貿易の窓口として栄え、異文化交流の場でもあったのが、この平戸です。

平戸の名は、江戸時代の鎖国の歴史とともに、教科書にも登場しますので、ご存知の方も多いと思いますが、その平戸の町にあって、平戸港や、「平戸城」、「平戸オランダ商館跡」を望む高台にそびえているのが、『聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂』です。


天を突き刺す!教会建築

聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂は、教会としては言うに及ばず、建築物としても大変すばらしい建築物となっています。

天を突き刺す大塔と小塔、それに続くように垂直に切り立つ尖塔の数々がとても特徴的で、外壁のグリーンホワイトの配色が、これまたとても印象的な建築物となっています。

一般的な建築物としても、はたまた教会としても、かなり特徴的な配色を見せる聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂ですが、教会内部は、そんな外観の直線基調の尖ったイメージとは異なり、アーチ状の曲線の美しさや、ベージュ系の配色、漆喰塗りによるマーブル模様の壁や柱が、穏やかに包み込むような安らぎを与えてくれるつくりとなっています。

教会建築においては、外観と内部のイメージギャップが大きく、扉を開けた瞬間、驚かされる建物が多く存在しますが、この聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂も、そのひとつと言えるのではないでしょうか。


2つのザビエル記念聖堂

聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂は、1931年に建てられたカトリック系の教会で、その名が示すとおり、カトリック教会の宣教師、フランシスコ・ザビエルにちなんで名づけられた教会です。

当初は、「平戸カトリック教会」という名称でしたが、1971年に、敷地内に平戸にゆかりのある、フランシスコ・ザビエルの記念像を建立したのをきっかけに、7月18日の除幕とともに、教会の名称も、聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂と、改称されました。

ザビエルの名がつく聖堂としては、当初の聖堂が残念ながら火災で焼失してしまった、山口県にある「山口ザビエル記念聖堂」を思い起こす方も多いかと思います。

三角屋根が特徴的な、斬新かつ近代的な山口のザビエル記念聖堂のつくりに対して、こちらの平戸の聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の方は、質素なつくりの中にも安らぎが感じられる・・・、そんな教会らしい趣のある建物となっています。

教会のある場所も、通りから奥に入った、住宅地の中にひっそりと佇んでおり、市の中心部に位置する山口の聖堂とは、180度違う環境に建っていますが、その静けさがまた、この聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の魅力でもあります。

わたしは、昼と夜の2回、この聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂を訪れましたが、ライトアップされた夜の聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の眺めも、昼間とは違う輝きを放っており、平戸の街の夜景とともに、また美しものでした。

時間が許す方は、静まりかえった平戸の町に浮かび上がる、夜の聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂にも訪れてみてください。


運命のイグナチオとの出会い

キリスト教の伝来で日本史の教科書にも登場し、「以後よく・・・」のゴロ合わせでも有名なのが、イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルです。

フランシスコ・ザビエルは、1506年4月7日に、5人姉弟の末っ子として、スペインナバラにある「ザビエル城」で、地方貴族の子供として生まれました。

大分県の名菓「ざびえる」にもなっている、ザビエルという名は、古くから残るこの土地の名称で、現在もナバラ州には、ザビエルの名を冠したザビエル城が残っています。

また、ザビエルゆかりの地として、山口県とナバラ州は、友好・姉妹提携を結んでおり、山口県の役所には、スペインからの国際交流員も駐在しており、ナバラの文化の紹介や問合わせなどに対応しています。

ザビエルが育った頃のナバラ地方は、フランスとの国境に位置していることもあり、騒乱の渦に巻き込まれることが多く、そんな中ザビエルも、幼少の頃から、周囲で戦が絶えない日々を送っていました。

20歳を前にした1525年、ザビエルは、フランスのパリ大学に留学し、聖バルバラ学院で学ぶこととなりました。

そんな中、神学などを学ぶ日々の中で、後にイエズス会の同志となる、イグナチオに出会い、刺激を受けるうちに、次第にザビエルは悟りを開いていくようになりました。

当時のザビエルには、そのまま大学教授へと進む道が開けていました。

しかしながらザビエルは、俗世での名誉やしがらみにとらわれることなく、自らの意志に基づき、同志とともにキリスト教の教えを広めるべく、「修道会」(イエズス会)を立ち上げる道を選ぶこととなりました。


キリスト教伝来とザビエル

イエズス会を立上げ、活動の場を広めていったザビエルは、キリスト教の伝教師として、インドマラッカなどで布教活動を行う中、マラッカの地にて、鹿児島生まれのヤジローに出会うこととなりました。

ヤジローの祖国「日本」が、宗教や学問に強い関心を示す民族であることや、キリスト教未開の地であることを知ったザビエルは、キリスト教の教えを広めるべく、日本を目指すこととなりました。

そして、あの有名な1549年8月15日、インドのゴアを出発した、ザビエル一行は、薩摩国 「祇園之洲」(ぎおんのす)あたりに上陸しました。

現在の鹿児島市の「祇園之洲公園」あたりが上陸の地とされており、ここには、ザビエル一行が上陸したことを記す記念碑が建てられています。

上陸後のザビエルは、当時地元の大名であった「島津氏」に、宣教の許可を頂くと、当時日本を支配していた室町幕府に宣教の許可を頂くべく、都を目指して上京しましたが、その途中に、平戸や山口などを訪れ、布教活動に励みました。

そんな精力的な動きを見せたザビエルでしたが、ザビエルの日本滞在が、わずか2年余りだったことや、当時の幕府にはすでに支配力が無かったこと、各地の大名の受けがあまりよくなかったことなどにより、キリスト教の布教は思うようには進みませんでした。

しかしながら、ザビエルが日本を去った後、キリスト教を推奨するキリシタン大名が生まれ、「セミナリヨ」や「コレジヨ」などの教育機関の設立とともに、徐々にキリスト教は広まっていきました。


時には省みることも・・・

周囲を歩くとわかりますが、この聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂は、高台にあり敷地内からは尖塔の十字架が輝いて見えますが、周りからは見えにくく、その存在が目立たないようになっています。

現在でこそ教会の存在は特に問題も無く、広く社会に受け入れられていますが、16世紀よりキリスト教が広まりを見せる中、異国勢力の力やキリスト教徒の団結力を警戒した豊臣秀吉やそれに続く徳川幕府は、キリスト教を弾圧し、キリスト教徒たちは、隠れキリシタンとして、地下に潜むこととなり、暗い鎖国の時代が続きました。

しかしながら開国後の日本において、再び勢いを取り戻したキリスト教は、現在、カトリック教会プロテスタント教会東方正教会など、いくつかの組織に分かれつつも、100万人の信者持つまでとなりました。

わたしは、キリスト教徒ではありませんが、教会という建築物の美しさやその魅力から、しばしば全国各地の教会を尋ねます。

キリスト教の文化や歴史については、まだまだ勉強不足で、理解するまでには至っておりませんが、いつも感じるのは、多くの日本の寺院同様、この聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂をはじめとした教会にも、建物内部へ一歩足を踏み入れた瞬間、“ピーンと張り詰めた緊張感”が走る、あの何ともいえない雰囲気が漂っているということです。

祀られておる者や、その教えは違えども、建物内で祈りを捧げる時、自らの心の中に走るものは同じ感じがします。

時には、自らを省みたり、時には心を洗われたり、時と場合によって様々ですが、一年に何回かはこういう機会があってもいいのでは・・・と、素直に思います。

そんな想いを抱かせる聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂、日本の西の果てと、決して身近な場所ではありませんが、かつての日本の玄関口に、あなたも訪れてみませんか。
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