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大宰府と太宰府
福岡市街から、国道3号線を南下したところに、奈良・平安時代にかけて九州全土を統治した、「大宰府政庁」の史跡があります。
940年の「藤原純友の乱」にて焼失してしまった大宰府政庁の跡地は、現在、「都府楼跡」(とふろうあと)と呼ばれ、礎石などが残されていますが、この都府楼跡の程近くに、「学問の神様」と崇められ、全国の受験生の強〜い味方である、『太宰府天満宮』(だざいふてんまんぐう)があります。
わたしは、関東在住だったため、さすがにこの太宰府天満宮までは、合格祈願に行けませんでしたが、子供心に、ここが一番!という思いはありました。
そんな太宰府の地を訪れてみて、ふと日本史の試験で、太宰府の地名や天満宮には点があり、政庁には大宰府で点が付かない・・・という引っ掛け問題があったことを思い出しました。
菅原道真公の左遷
そんな太宰府天満宮は、わずか5歳で和歌を詠み、「文学博士」でありながら、「右大臣」にまで上り詰めた、「菅原道真」(すがわらみちざね)公を祭る神社として広く知られています。
日本で初めて「神」になった人物でもある菅原道真公は、日本史の試験によく登場した、「白紙(894)にもどす遣唐使」のゴロ合わせでも有名な、894年に「遣唐使の廃止」を建議した人物です。
そんな菅原道真公は、この太宰府へは、「大宰権帥」(だざいのごんのそち)として、赴任してきました。
しかしながら、この太宰府への赴任はかたちばかりで、実のところは左遷であり、この後、菅原道真公は、この太宰府にて、不遇の時を過ごすこととなりました。
菅原道真公が生きたこの時代は、まさに「藤原氏」が「摂関政治」で台頭しつつあった時代であり、頭がきれ、あまりにも偉くなりすぎた菅原道真公は、時の左大臣「藤原時平」の天皇排斥の讒言により、901年太宰府へ流されてしまいました。
太宰府に左遷されてからの菅原道真公は、謹慎同様、困窮の日々を送り、大宰府政庁から一歩
も外に出るることなく、左遷後、わずか2年の後、903年2月25日に、静かにその生涯を閉じました。
葬儀にあたり、菅原道真公の御遺骸を乗せた「牛車が往生した場所」を、道真公の御心の示す場所として、ここに御遺骸が葬られることとなり、905年に門弟であった「味酒安行」(うまさけのやすゆき)によって、この地に太宰府天満宮が創建されました。
その後、都に起きた災いが菅原道真公の呪いであるとの噂や、朝廷により道真公に罪なきことが判明したことより、919年、時の左大臣「藤原仲平」により、社殿が造営されました。
現在、重要文化財に指定されている、五間社流造りの太宰府天満宮の本殿は、1591年に、「小早川隆景」により再興されたものといわれています。
太宰府天満宮が、大宰府政庁のそばにあるのには、そんな深い謂れがあり、菅原道真の深い想いがあるのです。
飛梅伝説
御墓所の上に造営された太宰府天満宮には、「飛梅伝説」という、菅原道真公にちなんだ伝説があります。
太宰府に左遷されることとなった菅原道真公が、出発にあたり、京の御殿の梅に想いをはせ、
「 東風吹かば においおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ 」
と詠まれると、その梅が道真公を慕い、はるばる太宰府まで飛んできたというものです。
現在も、境内右手に現存するこの「飛梅」は、1000年の時を越え、わたしたちに香ばしい梅の香りを伝えてくれています。
この他、太宰府境内には、197品種 6000本といわれる梅の木があり、広い境内を埋め尽くすとともに、「花菖蒲」などの季節の花々とともに、四季折々の眺めを楽しませてくれています。
天満宮と天神
そんな太宰府天満宮ですが、全国には同じく菅原道真公を祭った「天満宮」がたくさんあります。
天満宮とは、もともと菅原道真公の神霊を御奉祀する神社のことをいい、菅原道真公の神号である「天満大自在天神」のからきており、「天神」と名のつく神社もありますが、日本で最初の天満宮は、904年創建の山口県の「防府天満宮」と言われています。
京都の「北野天満宮」や、東京の「湯島天神」など、受験生には馴染みの深い天満宮が、全国各地にありますが、わたしも受験時には、湯島天神と「亀戸天神社」に合格祈願に行きました。
とにかく最後は神頼み・・・という状況だったわたしは、合格祈願はもとより、絵馬やお守り、鉛筆まで購入したような記憶があります。苦しい時の神頼みとはよく言ったものです。
みなさんの中にも、お近くの天満宮や天神様に行かれた方は多いのではないでしょうか。
鬼すべ、曲水の宴
太宰府天満宮では、正月1月7日に、「鬼すべ」が行われます。
986年に、道真公の子孫である「菅原輔正」(すがわらすけまさ)により、この鬼すべが始められたといわれています。
また3月には、テレビでもよく伝えられる、春の訪れをつげる「曲水の宴」(きょくすいのえん)が行われます。
曲水の宴は、もともと中国から伝わったもので、太宰府では、958年に「小野好古」(おののよしふる)により始められたとされている宮中行事です。
流れてくる盃が自分の前を通りすぎる前に一句詠み、その盃を頂くという、実に即興性が問われる詩会です。
華やかな宴遊ではありますが、詩の出来によっては、人物の評判にも影響しかねない曲水の宴は、詩の苦手な公家さんにとっては、苦痛に感じた方もいたのでは?・・・と、思ってしまいます。
鬼すべ、曲水の宴のいずれのも、いにしえの歴史を今に伝える行事であり、観覧ができますので、時間が合う方は、是非ご覧になられてはいかがでしょうか。
名物 梅ヶ枝餅
太宰府駅から続く、太宰府天満宮への参道には、おみやげ屋など多くのお店が立ち並び、大勢の参拝客でにぎわっていますが、ここに来たら是非とも食べて頂きたい物が、太宰府名物
「梅ヶ枝餅」(うめがえもち)です。
  
この太宰府天満宮の参道には、たくさんの梅ヶ枝餅のお店が軒を連ねていますが、わたしは友人のすすめにより、「かのや」の梅ヶ枝餅を頂きました。
友人曰く、「かさの家」の梅ヶ枝餅も有名とのことですが、いろいろと食べ比べてみてはいかがでしょうか。
2005年には、隣接して「九州国立博物館」もオープンし、ますます魅力的な地となった太宰府。
受験生ならずとも、九州の地に来たら、一度はこの歴史ある太宰府天満宮を参拝してみてはいかがですか。
| ■ 太宰府天満宮 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
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全国の天満宮の聖地である「太宰府天満宮」に、是非とも訪れてみてください!
梅ヶ枝餅を味わうこともお忘れなく・・・ |
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