海野宿とは?
長野県東御市の、古くは「海野庄」と呼ばれ、東信濃を治めた滋野氏・海野氏の所領だった地に、1625年に江戸幕府により設置された宿場町で、佐渡で採れた金の輸送や参勤交代・善光寺参りなどで賑わい、最盛期には本陣1軒、脇本陣2軒、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒が軒を連ねた。
中山道と北陸道を結ぶ北国街道沿いにあり、1986年に"歴史かおる街・海野宿"として『日本の道100選』に選ばれている。
真っ直ぐに伸びる水路が印象的な約650m続く町並みには、「うだつ」のある家や、江戸時代の宿場町の佇まいを色濃く残す、出桁造りで「海野格子」と呼ばれる格子戸が美しい旅籠屋造りの建造物、養蚕業が栄えた明治時代の屋根に換気用の「気抜き」がある蚕室造りの伝統的建造物が残されており、1987年4月28日に"宿場町・養蚕町"として、意匠的に優れている132,000㎡が重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
この他、宿場入口には海野氏や真田氏の氏神だった「白鳥神社」が、「地蔵寺跡」には媒地蔵尊や馬頭観音があり、「海野宿歴史民俗資料館」や句碑・道標なども建つ。
海野宿の見所
重要伝統的建造物群保存地区 「海野宿」
伝統的建造物群保存地区の内、特に価値が高いものが文化財保護法第144条の規定に基づき国が選定した「重要伝統的建造物群保存地区」だ。現在120件程あり海野宿は古い部類だが、もう少し選定が遅れていたら、維持費や生活の便の悪さから反対者も出てきて、所々に旧宅が残るだけの単なる田舎町になっていたかもしれない。ギリギリのところで旧街道筋の趣や宿場町としての名残を留めたわけで、こうした町並みに出逢うと、今の時代に歴史散策が楽しめることの幸せを実感する。
白鳥神社
東桝形跡にある、平安・鎌倉期の豪族 海野氏の氏神で、海野宿の産土神。春の例祭では、優雅な『浦安の舞』が奉納され、街道が賑わう。
六文銭(六連銭)
暖簾の六文銭に思わず目が行ってしまったが、真田氏で知られるこの六文銭は、実はその祖先である滋野氏の家紋。海野氏・真田氏は、同じ滋野氏の一族だ。
地蔵寺跡
海野氏家臣がお地蔵さまを安置したのを起源とする地蔵寺の跡。江戸時代の元禄4年にここ移り再建されたが、1951年に焼失し廃寺となった。
媒地蔵尊
旧地蔵寺の山門脇に1995に建立された地蔵尊。「縁結地蔵」とも呼ばれ、参勤交代中に姫の良縁を祈願した加賀の殿様が、良き縁談に恵まれた伝説が残る。
うだつの町並み
うだつの町並みが見られる所として、美濃や脇町などとともに有名だが、脇町のうだつの町並みとは異なり、逆三角形のような斜めに袖壁が張り出す形だ。
海野格子
海野宿には、2階部分に「海野格子」と言われる、長さの違う縦格子が見せる独特の模様が美しい、江戸時代の出格子が残されている。
気抜き
屋根に注目して欲しい!越屋根にある窓が、養蚕業を営む際に必要な煙出し用の換気窓で、「気抜き」「気抜き窓」と呼ばれている。
旅の醍醐味
大内宿もそうだが、交通の便が悪いだけで脚光を浴びなかった町並みはまだまだある。港町もそうだが、偶然出逢うそうした景観にこそ、旅の醍醐味がある。
町並みの歩き方
宿場町を歩く時、いつも行きは全体的な雰囲気を楽しみ、帰りに個々のパーツや店先などを覘くようにしている。そうすると距離があっても歩くのが楽しい!
玄関先にも注目!
海野宿を散策する楽しみの一つが、各戸の玄関先だ。懐かしい生活用品や置き物が置かれている所もあれば、街道に彩りを添える鉢植えが美しい家もある。
真っ直ぐに伸びる水路
海野宿の魅力のひとつに、「表の川」と呼ばれる街道沿いを流れる水路が挙げられる。この水路が単なる一本道に趣を加え、宿場の景観をアップさせている。
海野宿の町並み
水路に並木、外灯に高札など、景観に趣を加える要素が実に巧みに配されている海野宿。妻籠宿や馬籠宿もそうだが、実用かつ計画的に造られた町並みの美しさがここにある。
重要伝統的建造物の特徴的な造りに注目!
旧家の2階に残る江戸時代の「海野格子」や、養蚕業の名残の越屋根の「気抜き」に注目!
うだつの町並みにも注目!
美濃や脇町などとともに、うだつのある町並みとして知られる所だよ!
景観ばかりに気を取られてお参りを忘れずにね!
素通りせずに、海野氏や真田氏の氏神だった白鳥神社や地蔵寺跡の媒地蔵尊にお参りしよう!
海野宿 編