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熊野古道の終着点、大斎原!
「世界遺産」登録後、「熊野古道」を巡る旅が人気となり、多くの方がこの三重、奈良、和歌山の3県にまたがる幾多の道を訪れていますが、そんな「熊野信仰」発祥の地であり、熊野古道の終着点にもなっているのが、この「熊野本宮大社」旧社地である 『大斎原』(おおゆのはら)です。
熊野古道を歩く旅をされている方の中には、この熊野本宮大社旧社地大斎原のことや、ここが終着点であることを知らずに歩かれている方も多いようですが、そういうわたしも、この大斎原を訪れるまでは、ただ漠然と「熊野三山」を目指して歩いているひとりでした。
全国に散在する「熊野神社」の総本宮である、現在の「熊野本宮大社」に対して、地元では、「古宮」(ふるみや)などと言われているこの大斎原は、現在の熊野本宮大社からは、国道168号線を挟んで反対側の、やや南下した熊野川沿いの、こんもりした林の中に位置しています。
現在でこそ、ひっそりとした場所となっていますが、かつては、ここに5棟12社の「熊野造」と言われる立派な社殿が整然と建ち並んでおり、かなりの規模で、豪勢な社殿配置をみせていたと言われています。
当時は、熊野川と音無川などにより生まれた中州に位置したというこの大斎原には、橋が架けられておらず、熊野本宮を詣でる者は、必ず川の中を歩いて渡り身を清めるという祓いである、「濡藁沓の入堂」(ぬれわらうつのにゅうどう)を行なったとされています。
身を清めずしては、何人たりとも立ち入れない場所・・・、それくらい、この大斎原は神聖な場所となっていました。
実に33回!後白河法皇の熊野御幸
NHKの大河ドラマ「義経」にて再三登場し、平幹二郎さんが、味のある役回りを演じたあの「後白河法皇」も、こよなく熊野詣である「熊野御幸」(くまのごこう)を行った天皇のひとりでした。
この「宇多上皇」により始められたという熊野御幸が、この時期盛んに行われていた背景には、いくつかの理由がありました。
世間に広く知れわたっていた末法思想による、阿弥陀仏に救いを求める「浄土信仰」が盛んであったことや、武士の台頭や政変による世情不安などが重なっていたこともあり、一般庶民ともども歴代の上皇や法皇の間にも、神仏習合の進んだ「熊野大権現」(くまのだいごんげん)が、信仰の対象として崇められていったことがありました。
後白河法皇は、院政をされていた上皇時代の1160年、上皇34歳の時より、この熊野御幸を始められ、実に33回(34回という説もあります・・)もの熊野御幸をされたと言われています。
この33回という熊野御幸の回数は、歴代の上皇・法皇などの中では最多の回数であり、「熊野速玉大社」境内にある石碑にも、その回数が記されています。
他にも、「鳥羽上皇」の23回(21回説あり・・)、「後鳥羽上皇」の29回(28回説あり・・)などがあり、基本的に、天皇在位中は、お伊勢参りである「伊勢行幸」(いせぎょうこう)が一般的なため、上皇になられてからの回数と考えると、その回数の多さに驚かされます。
300年にわたり百数十回行われたと言われる熊野御幸ですが、中には800人以上もの行列をなして行った上皇や、年1回以上もの熊野御幸をされた記録もあり、いかにこの時期盛んに熊野御幸が行われたかを、如実に物語っています。
歴史的な大洪水の果てに・・・
そんなかつての熊野本宮、大斎原でしたが、明治時代になった1889年夏に、この地区を襲った大洪水で、中州であった大斎原は、多大な被害を被りました。
この1889年の大洪水は、「谷瀬の吊橋」のところでもご紹介したように、上流の十津川地区でも、大水害を巻き起こしており、ついには十津川地区の住人たちが、北海道へ移住するきっかけともなった大洪水でした。
そんな大洪水の中、かろうじて残った「上四社」(@熊野牟須美神・事解之男神 A速玉之男神・伊邪那岐大神 B家津美御子大神 C天照皇大神)は、2年後の1891年に、高台である現在の熊野本宮大社の場所に移されることとなりました。
そして、残念ながら社殿が流出するなど多大な被害を被った「中四社」(@忍穂耳命 A瓊々杵命 B彦穂々出見命 C鵜葺草葺不合命)と「下四社」(@軻遇突智命 A埴山姫命 B弥都波能売命 C稚産霊命)は、この大斎原に石碑2殿を建て、この地にて祀られることとなりました。
それが、現在のこの大斎原の姿です。
この時、同じく境内にあり被害を被った「摂末社」(せつまつしゃ)である、「八咫烏神社」(やたがらすじんじゃ)や「音無天神社」(おとなしてんじんじゃ)などの神社も、石碑2殿と向き合うように、この大斎原の熊野川よりに祀られることとなりました。
ここがですか???
この大斎原を訪れてみて感じたことは、この場所が、実に神聖な場所だということと、そのことを肌を通じて実感できる場所だということです。
大鳥居をくぐり抜け、樹木が林立する真っ直ぐな参道を進み、この大斎原にいざ足を踏み入れると、石碑以外、ほとんど何も無い広場のような場所となっているにも関わらず、どこかピーンとした張り詰めた空気を感じます。
その静けさの中に漂う空気は、熊野本宮大社の4棟の社殿を前にした時と同じものがあり、少し小高くなった大斎原の緑の草の上に、社殿が浮かび上がって見えるような気がしてきます。
わたしがこの大斎原で、ぼーっと佇んでいると、ぷらっと来た観光客らしいひとりの男の方が、「何見てんですか?何もないですよ、ここは!」というので、「ええ、でも一番大事な場所ですから・・・」と答えると、「ここがですか???」と笑いながら、中に入ろうともしないで去って行きました。
おそらくそれが普通なのかもしれません。
観光地としては、この大斎原は、そういう扱いを受ける場所なのかもしれません。
現に、熊野本宮大社には大勢の方が訪れますが、この大斎原を訪れる方は少ないと思います。
観光ツアーでも、素通りするケースがほとんどなのではないでしょうか。
わたしは、特に信仰心がある訳でもなく、熊野信仰に対して特別な感情を持っているわけでもありませんが、そういう次元とは異なり、単純にこの場所に立った時に、足が止まりました。
緑のシャワーを全身に受け、なんとも言えないこの空気と静寂の中に、やすらぎとともに、心が落ち着いていくのがわかりました。
ただ単純にそれだけのことなのですが、そこらで森林浴をしても決して味わうことのできないこの感覚の背後には、やはり大斎原という神聖な場ということと、長く続く熊野信仰の歴史の重みがあったのかもしれません。
目には見えない、言葉でもうまく表現できない、何ともいえないそんなものですが、この感覚だけは、未だに忘れられません。
何人の方がそう感じるかは?ですが、個人的にはとても貴重な体験であり、この大斎原は、強く印象に残る場所となりました。
日本一の大鳥居
熊野本宮大社を目指して車を走らせていると、真っ先に見えてくるのが、日本一の大きさを誇る、高さ約34m、横幅約42mの大斎原の「大鳥居」です。
熊野本宮大社から、国道を渡り、この大斎原へ向かう途中にあるこの大鳥居は、もともとこの地にあったものではなく、20世紀最後の年である、2000年5月11日に、ある願いのもと建立されたものでした。
それは、現世の憂いの中、新たなる世紀を迎えるにあたり、皇紀2661年目の節目に、熊野信仰の原点であるこの大斎原に、「新たなる世紀が、神と自然と人とが共にあるよう」との願いがこめられ造られたものでした。
大鳥居自体は、金属製であり、特に趣があるわけでもなく、また歴史あるものでもないため、特別惹かれるものではありませんが、近づいて大鳥居の真下に立ち、真上を見上げてみると、その高さに驚くとともに、この天高くそびえる日本一の大鳥居の姿に、熊野信仰の力強さを感じました。
大鳥居が建立されてから、幾年かの年月が経過した今、人心が自然から遠のくことを危惧されたこの熊野本宮大社の願いが通じたか否かはわかりませんが、少なくとも環境問題や、土や緑に対する自然回帰の心に変化が出てきたことは感じられます。
かつて熊野詣の際は、最初と最後に、訪れたとされるこの大斎原。
時代を超え、全国から数え切れないほどの方々が、この場所に足を運んだと思うと、その歴史の重みを感じられずにはいられません。
観光というと、とかく建物や景色ばかりに目が行きますが、目に見えないものや、その場の空気を感じるのも、またひとつの旅の姿ではないでしょうか。
そんな観光もありだな・・・と思われる方は、是非、この熊野本宮大社旧社地
大斎原を訪れてみてください。
| ■ 大斎原 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
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「大斎原」の一見何も無いところに見出す旅の楽しさと、熊野信仰の歴史を感じてみてください! |
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