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圧巻!楯ヶ崎の柱状節理
いにしえより神々が宿る地とされる、三重県の「熊野」一帯は、2004年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、日本で12番目の「世界遺産」に登録されました。
熊野といえば、「大門坂」をはじめとした「熊野古道」や「青岸渡寺」「那智三山」「那智の滝」などが有名ですが、山々だけでなく、熊野灘の波が打ち寄せる海岸線にも、神秘的な名勝地があります。
そんな熊野の名勝地のひとつが、「二木島」(にぎしま)にある 『楯ヶ崎』(たてがさき)です。
楯ヶ崎は、同じく海岸沿いにある奇岩の景勝地「橋杭岩」などとともに、岩場の絶景地として知られていますが、この熊野灘に突き出た楯ヶ崎は、「層雲峡」や「玄武洞」でもお馴染みの、「柱状節理」と呼ばれる独特の地形が特徴となっています。
柱状節理は、溶岩が地表を流れ、空気と地面により冷やされていく過程で形成され、冷却により徐々に生まれる割れ目が、柱が並んでいるように見えるため、こう呼ばれています。
そんな柱状節理の中でも、この楯ヶ崎の柱状節理は特別すばらしいもので、地質学的にも観光地としても、全国屈指のものとなっています。
高さ100mにも及ぶ柱状節理!
この熊野の海岸線には、楯ヶ崎のような柱状節理が数多く見受けられますが、「花崗斑岩」(かこうはんがん)による、この楯ヶ崎の柱状節理のスケールは特筆もので、高さ100mの柱状の岩が、数百も切り立ち連なっており、周囲600mにわたり、壮大な光景をつくりあげています。
この楯ヶ崎は、まさに名勝地であり、この柱状節理の眺めは絶景と呼ぶにふさわしいものです。
古い文献においても、平安時代の「増基法師」(ぞうきほうし)の紀行文に、「神の戦いたるところとて、楯が連ねたような厳どもあり」と、今と変わらぬこの楯ヶ崎の光景が描写されています。
また、江戸時代の「紀伊続風土記」にも、この楯ヶ崎の光景が、ありのままに記されています。
自分が普段歩いている地面とは、とても地続きとは思えない程、異様な空間を造りあげているこの楯ヶ崎。
自然の不思議さと、日常生活において忘れ去っている、アスファルトの下が、地球の大地である・・・ということを、改めて感じます。
一説には、「神武天皇」が上陸した地とされているこの楯ヶ崎ですが、この地に立って、このスケール感あふれる光景を眺めていると、そのような伝説に素直に耳を傾けられるような、そんな気持ちになってきます。
意外に苦しい、楯ヶ崎への道
そんな楯ヶ崎のこのすばらしい眺めを楽しむ方法には、2通りあります。
1つは、国道311号線沿いにある駐車場から、てくてく歩いて行く方法で、もう1つは「観光遊覧船」にて、港から楯ヶ崎へとアクセスする方法です。
陸路は、片道1.9kmの山道で、遊歩道が整備され、誰でも歩けるようになっていますが、落石の危険があります。
しかも、ここの落石は、そこらの落石とは違い、一個の石のデカイこと、わたしが歩いた時も、2箇所ほど、道を塞がんばかりの大きな石が転がっていました。
こればかりは、天のみぞ知る・・・ということで、どうしようもありませんが、落石の危険があることは意識しておいてください。
海路は、港から遊覧船で楯ヶ崎周辺を巡り、海から眺めるというもので、お金はかかりますが、苦労はありません。
わたしは、歩いてこの楯ヶ崎を目指しましたが、前日の熊野古道巡りもたたって、往復2時間コースのこの道のりは、結構足にくるものでした。
山腹の国道沿いの遊歩道入口から歩き出してすぐに、ひたすら下っていく石段に、帰りの道のりに一抹の不安を抱きつつ進むと、さらにどんどん下って行くというものでした。
おまけに、この石段の間隔が微妙で、一歩には長く、二歩では同じ足にばかり負担がくるという・・・なんとも厄介な石段でした。
2つの神社の競い合い?
石段に苦労しつつ下っていくと、やがて楯ヶ崎までの行程のちょうど中間地点である、二木島湾の入り江に出ます。
中間点ということもあり、ひと息いれたくなる・・・そんな気分にさせてくれる入り江ですが、この入り江にひとつの神社が建っています。
鳥居や常夜灯が無ければ、神社とわからないような・・・そんな小さな神社が、「阿古師神社」(あこしじんじゃ)です。
本堂は、神社と呼べるような造りにはなっていないのですが、この阿古師神社では、毎年、「二木島祭り」というお祭りが行われます。
このお祭りは、二木島湾を挟んで向かいある、「室古神社」(むろこじんじゃ)との間で、船による競い合いを行うというお祭りです。
古くは、旧暦の5月5日と11月2日に行われていたというこの二木島の例祭は、現在は11月3日に行われており、神社での祭典のあと、8本の櫓を32人で漕ぐ「関船競漕」が行われます。
この関船競漕の由縁は、古くはこの二木島湾が国境となっていたことにあり、阿古師神社が「伊勢」の国だったのに対し、対岸の室古神社が「熊野」の国だったことにより、このような競い合いのお祭りになったとのことでした。
二木島祭りは、かつてこの地で活躍した水軍や捕鯨船の早漕ぎを彷彿させる、海の男の勇壮な祭りとして、今もこの地に生き続けています。
そんな阿古師神社で一服していると、やがて楯ヶ崎への残りの行程が、海岸線沿いにぐるっと回っていくというような、平坦な道のりではないことに気付きます。
視線の先には、急な上り坂が続いており、ここからまた上ってまた下るのか・・・と、先を予感させる道が続いています。
紛らわしい?楯ヶ崎展望台
再び上りだしながら進んでいくと、もうすぐ到着というところで、道が二手に分かれます。
ひとつは、「楯ヶ崎展望台」へと続き、もう1つは「千畳敷・二木島灯台」への道と表示されています。
後に、この二手の道は、周回路でありつながっていると分かるのですが・・・、わたしは迷わず楯ヶ崎展望台への道を選択しました。
この楯ヶ崎展望台までのラスト300mの道のりは、急な上りで、最後にして結構な長さに感じられるものでした。
そしてたどり着いた高台(展望台?)は、イメージとは裏腹に、木々に遮られ展望など出来ない場所でした。
写真が撮りたい一心で、道を外れ危険を承知で崖を下りましたが、よくよく見ると、視線の先にある柱状節理の光景は、楯ヶ崎では無いことに気付きました。
そして、その時、ここが楯ヶ崎展望台ではないことにも気付きました。
高台=展望台という思い込みと、ご丁寧にベンチがあったこと、そして何より眼前に柱状節理があったために、ここが楯ヶ崎展望台と思い込んでしまったわたしですが、ひょっとしたら楯ヶ崎を望む展望台ではなく、楯ヶ崎にあるという意味での展望台か・・・やられた?と思いながら、先を急いだのでした。
ちなみに、この眼前に開けた光景は、「海金剛」と呼ばれるもので、ちょうど楯ヶ崎の裏側にあたる場所にあたります。
海金剛もまた、楯ヶ崎同様、垂直に切り立つ柱状節理が眺められる場所なのですが、際立った感動はありませんでした。
どこまでがひとつの岩なのか?
そんなわたしの思いをまたも裏切るかのように、高台から下っていくと、一気に開けた岩場にでました。
そしてその先に、見事な柱状節理を見せる楯ヶ崎の光景が目に入ってくるのですが、どうやらここが、高くない展望台・・・ということでした。
しかしながら、そんなことをも忘れさせてくれるこの楯ヶ崎の光景はすばらしく、苦労してたどり着き、最後の最後に開けて、この光景が目に入ってきた分、感動もひとしおでした。
写真で見ていた楯ヶ崎よりも、実際の柱状節理の高さはかなり高く感じ、天を突き刺す光景と言われることが理解できるものであり、近づくほど、その特異な地形に驚かされます。
楯ヶ崎に近づきながら歩く岩場も、くぼんで海水につかっていたり、雨水が溜まっているような場所は、黒く変色しており、歩くと微妙に沈み込む?ような気がします。
見た目は固い岩のはずなのに、何度歩いてみても、そんな感じが足の裏から伝わってきて、ちょっと不思議な感覚を覚えます。
また、この岩場は、どこまでが1つの岩なのかがわかりません。
全部が1つに思えるほどで、柱状節理の出来る工程を考えるに、1つの岩なのかも?と思うほど、不思議な場所となっています。
このような体験が出来るのも、陸路ならではの楽しみであり、個人的には歩いて行って欲しいところです。
海路は、徐々に近づくため、目にした時の感動は、陸路ほどは無いものの、陸路よりもすぐそばで楯ヶ崎の絶景が味わえるという点は、大きな魅力であり、一長一短というところでしょうか。
ただし、体力に自信の無い方には、迷わず海からのアクセスをおすすめします。
わたしが楯ヶ崎を訪れた時は、日差しのキツイ蒸した日だったこともあり、帰路での最後の石段は、結構堪えました。
夏場など暑い日には、飲料水などを持っていかないと、途中には一切売店や販売機はありませんので、気をつけてください。
この楯ヶ崎の眺めは、日本にもこういう場所があったのか・・・というほど圧巻です。
自然現象とはいえ、地殻変動や火山活動など、地球の鼓動を直に感じられる・・・そんな場所であり、是非みなさにも、この壮大な柱状節理の絶景を味わってもらいたいと思うしだいです。
神々が宿る熊野の、伝説の神武天皇上陸の地 楯ヶ崎に、是非とも訪れてみてください。
| ■ 楯ヶ崎 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
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熊野の伝説の名勝地「楯ヶ崎」!
突然現れる柱状節理の絶景を堪能してください! |
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