| 金印公園 評価 |
 |
| 地図・天気予報 |
 |
 |
|
|
古代ロマンの地、志賀島
今まで何気なく通り過ぎていた場所や、田舎ののどかな田園地帯が、ある日突然、発掘により彗星の如く歴史の表舞台に登場することは、過去に幾度と無くありましたが、そんな日本の歴史舞台に、ふとしたことから登場することとなったのが、この福岡市にある「志賀島」です。
博多湾越しに、福岡の市街地を望むこの志賀島は、その名が知られている「海の中道」の先に位置し、砂洲でかろうじて陸続きとなっている島で、現在は「志賀島橋」によって結ばれています。
夏は時計回りに一方通行になるというこの志賀島は、周囲約12km、面積約5.8ku(東京ドーム124個分)、人口2000人余りという島で、夏の海水浴や、釣りなどのレジャーで賑わう島です。
もともとこの志賀島は、「万葉集」などの詩に詠まれたり、蒙古襲来の「元寇」や、 「古事記」・「日本書紀」に登場する海の守り神、「綿津見(わたつみ)の神の伝説」などで、その名が知られていました。
しかしながら、なんといっても多くの方が、この志賀島の名前を知っているのは、日本史の教科書や参考書において、具体的な年号が登場することでは、最初となっているケースが多い、あの有名な国宝の「金印」が発見された島ということからではないでしょうか。
なぜこの志賀島の一角で見つかったのかは、未だ謎とされていますが、古い文献や言い伝えなどから、金印が出土したと思われる場所を記念してつくられたのが、この志賀島南部にある、『金印公園』です。
真の発見者は・・・、秀治と喜平!
志賀島の名を一躍有名にした、この金印が発見されたのは、江戸時代の1784年で、旧暦2月23日(現在の4月12日)のことでした。
田んぼを耕している時に、2人がかりでかつぐような大きな石があり、その石の下からこの金印が出土したと、当時の記録には記されています。
金印の発見者は、一般的には届出人である、志賀島のお百姓さんである「甚兵衛」(じんべえ)とされています。
わたしが大学受験時に覚えた日本史の参考書なども、みな甚兵衛の名が登場していました。
しかしながら、志賀島の古刹に残る記録や、当時の史料である「志賀島小幅」などには、「秀治」と「喜平」という名が登場しており、現在では、この2人が真の発見者ではないか・・・とされています。
甚兵衛は、田の所有者で届出人であり、秀治と喜平は、その小作人・奉公人などであったのではないか?とされています。
そんな金印が発見された田んぼが、どの辺であったのか?・・・というのが研究されだしたのは、大正時代に入ってからで、多くの文献や言い伝えなどにより、ひとりの考古学者「中山平次郎」氏が、ひとつの場所を推定しました。
それが、1922年に建てられた金印公園入口に建つ、「漢委奴国王金印発光之処」の石碑から博多湾より右前方とされています。
漢委奴国王
現在、この「漢委奴国王」の金印は、「福岡市博物館」に保存されています。
1978年に、福岡市博物館に寄贈されるまでは、旧筑前藩の藩主であった「黒田家」に、代々保存されていました。
ちょっと前まで、個人が所有していたということにも驚かされますが、正方形で一辺が2.3cm、重さ108.7gのこの金印は、つまむ部分が蛇をかたどったものとなっており、「漢委奴国王」の文字が、3行に分かれて刻まれています。
金印の読み方には、いくつかの説がありますが、一般的には「漢の倭<委>の奴の国王」(かんのわのなのこくおう)と読まれています。
これは、王朝名-部族名-民族名-格付けを表しているとされ、中国の文献である「後漢書」の倭伝の記述などから、57年に、後漢の「光武帝」が、弥生時代に福岡地方の小国であったとされる「奴国」の王に、この印綬を与えたとされています。
この国宝の金印を見てみたい!という方は、福岡市博物館を訪れてみてください。
ただそれだけ、されど・・・金印公園
そんな金印が見つかったとされる場所である金印公園は、志賀島の周回道路から、階段を上ったところにあります。
入口の「漢委奴国王金印発光之処」の石碑を横目に、階段を上っていくと、金印をかたどった「金印の碑」があり、この場所が金印発見の地であることが明記されています。
その先の園内には、「方位広場」や「展望所」などがありますが、金印自体は、上記のように、福岡市博物館にありますので、この金印公園内には、それ以上のものも無ければ、以下のものも無く、金印が発見された場所ということ以外、特に目新しいものはありません。
そういう意味では、ここを訪れるということは、ある意味歴史上にさんさんと輝く重要発見であった、金印発見の地に立つということだけかもしれません。
しかしながら、高台から望む博多湾の眺めの先に、古代ロマンを感じる時、何ともいえない訪れてみてよかった・・・という気持ちがわいてきます。
日本史の年表を開く時、57年の記述は、今でもどこか日本の夜明けを感じさせる出来事であり、そんな意味でも、この金印公園を訪れるということは、言葉にできないものを感じさせます。
この57年の記述が、具体的な年号としてトップを飾っている間は、この想いは消えないように思えます。
知識としてではなく、一度は訪ねてみたくなる地であり、訪れてみて、どこかほっとするところでもあり、博多湾を眺めていると、不思議とすがすがしい気分にもなってきます。
夜になると、ここならではの夜景が見れるとのことで、夜訪れる方も少なくないという金印公園ですが、古代ロマンを感じつつ、あなたも博多湾を眺めに、この金印公園を訪れてみませんか。
| ■ 金印公園 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
| ★ |
一度は訪れてみたい金印公園!
日本の夜明けを感じさせる古代ロマンの世界へ、あなたも足を踏み入れてみませんか? |
|