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芝居小屋がここにある・・
福岡県の筑豊地方に、タイムスリップしたかのごとく、本格的歌舞伎様式を今に伝える、ひとつの歴史的建築物があります。
多くの役者がこの舞台から巣立って行き、今も地元学生から看板役者までが、ここで公演を行う場所、それがこの 『嘉穂劇場』(かほげきじょう)です。
ガラス戸に立て看板と、今も変わらぬその姿は、どの時代の写真を取り出してみてもすべて同じに見えるほど変わっておらず、昭和の時代を生き抜いてきた劇場の姿がここにあります。
嘉穂劇場がある、「飯塚市」は、かつては「炭鉱」の町として栄えたところであり、大正から昭和にかけて、大小さまざまな芝居小屋が建てられ、多くの人で賑わっていました。
そんな中誕生した嘉穂劇場も、最盛期には、3日に2日は公演が行われるほどの盛況振りでした。
やがて時代が移り変わり、炭鉱の衰退とともに、多くの劇場が姿を消して行き、今となっては、飯塚で現存する劇場は、この嘉穂劇場のみとなってしまいました。
豪勢かつモダンな建築物、嘉穂劇場!
嘉穂劇場は、1931年2月に、「伊藤隆」氏によって設立されました。
当時としては、斬新な建物であり、柱を必要としないトラス形式の、木造2階の入母屋造りの建物は、木造でありながら舞台間口18mという大空間を実現していました。
今見ても、この嘉穂劇場の天井を見上げれば、そのつくりのすばらしさは一目瞭然で、機能的かつ美しい木組みには、強度と美の絶妙なバランスが垣間見え、まさに伝統の職人技がなしえた空間演出が、ここにあります。
ある意味、、炭鉱バブルの賜物とも言える嘉穂劇場ですが、現代においても「出雲ドーム」のような、集成材による特殊建築物はあるものの、木造建築でこれだけの空間演出がなされた建物は、そうあるものではありません。
ましてこの時代に・・・と考えると、当時としては、それはそれは豪勢かつモダンな建築物だったのではないでしょうか。
ピンクレディーに、マツケンも!
そんな嘉穂劇場も、劇場としては3代目にあたり、その前身は、1921年に、大阪の「中座」を模して建てられたという、木造3階建の「中座」がはじまりでした。
この初代劇場である中座は、1928年に全焼してしまい、翌1929年に再建されたものの、わずか1年で、台風により倒壊してしまいました。
そして、その翌年に誕生したのが、現在の劇場でした。
この嘉穂劇場は、歌舞伎役者のみならず、今まで多くの芸人たちに愛されてきました。
2005年3月に、「中村勘三郎」を襲名した旧「中村勘九郎」さんも、「この劇場は舞台の上と客席が一体となり、ごまかしがきかない劇場である・・・」と評し、襲名を控えた2004年秋に、原点に立ち返るべく、この嘉穂劇場で特別公演をされたほどでした。
勘三郎さんは、「歌舞伎の原点がここにある」というほどこの劇場を愛し、また惚れこんだ芸人のひとりでした。
そんな嘉穂劇場の歴史は、スター芸人の歴史であると言っても過言で無いほど、その公演記録に連なる名前の数々はそうそうたる顔ぶれとなっています。
古くは、「古賀メロディー」でお馴染みの古賀政男さんや、春日八郎さん、村田英雄さん、三波春夫さんといった演歌界の大御所をはじめ、北島三郎さんや橋幸夫さん、五木ひろしさんに森進一さん、細川たかしさん・・・といった時代のトップスターの名前が、そこにはギッシリと連なっています。
女性歌手においても、「昭和の歌姫」と言われた美空ひばりさんや、都はるみさん、八代亜紀さん、石川さゆりさん、和田アキ子さん・・・と、こちらも名前をあげたらキリがないほど、多くの方がここで公演されています。
変わったところでは、力道山のプロレス興行や、マッチこと近藤真彦さんやピンクレディーもここで公演されています。
椎名林檎さんのプロモ撮影にも使用されたり、「マツケンサンバ」の松平健さんも、ここで「暴れん坊将軍」を演じたりています。
いつの時代も、トップスターがここを訪れ、そしてここで演じていきました。
水害を乗り越えて・・・
そんな嘉穂劇場ですが、ご存知のように、2003年7月に九州地区を襲った記録的な豪雨により、建物が浸水してしました。
客席部では2mも浸水してしまい、代々この劇場を守り続けてきた伊藤家の方々も、「こんな大水は初めて・・・、再び舞台ができるようにするのは厳しい・・・、もう、涙も出ません!」と、半ば諦めながら話されたほどでした。
家族で劇場を支える限界を感じ、70年以上灯してきた大衆劇場の灯に、ピリオドを打つところまで追い詰められました。
そんな中、「特定非営利活動法人(NPO法人)」としての再建の道が開かれ、「日本宝くじ協会」や「日本小型自動車振興会」による補助や、全国のファンからの多くの義援金。さらには、津川雅彦さん、明石家さんまさん、中村玉緒さん、緒形拳さん、西田敏行さんらによる復興支援イベントなどにより、2004年9月に、再び劇場として蘇りました。
木造2階入母屋つくりの間口27m、奥行き42m、収容人数1400人という、この嘉穂劇場の姿は、創建当時と何も変わらず、あの独特の「のぼり」と「立て看板」を引き下げて、再び見事にその姿を現しました。
わたしが、この劇場を訪れた時は、地元の高校生による演劇大会が行われる日でしたが、朝から元気な高校生の声が響き渡り、プロアマ問わず、開かれた劇場の姿は、今も多くの市民に、そして全国各地の劇場ファンに親しまれ、愛されていることを肌で感じました。
この嘉穂劇場、公演などがない時には、見学ができ、客席から舞台にいたるまで、ぐるっと見て回れます。
2階の一角には、嘉穂劇場の歴史を振り返るコーナーなどもあり、時代を生き抜いた劇場の姿を見てとることができます。
建造物としてのすばらしさもさることながら、人情味あふれるこの劇場の雰囲気を、是非とも味わいに、嘉穂劇場を、訪れてみてください。

| ■ 嘉穂劇場 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
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「嘉穂劇場」の建物の芸術的な美しさと、多くの芸人さんに親しまれ愛されてきた劇場の雰囲気を、直に感じてみてください! |
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