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震災と正面から向き合える場!
今回ご紹介する『北淡震災記念公園 〜フェニックスパーク〜』(ほくだんしんさいきねんこうえん)は、兵庫県は淡路島の北部西海岸にあります。
その名が示すとおり、戦後の日本にとって、最も心の痛手として残る災害となり、平成世代を中心に終戦記念日が忘れ去られていく中で、深く心に刻まれた一日となっている、「1.17 - 阪神・淡路大震災」の教訓を活かすべく造られた施設です。
震災から3年が過ぎた1998年に、「北淡町震災記念公園」としてオープンし、その後、2005年に市町村合併により淡路市が誕生したことから、「北淡震災記念公園」と名称を変え、今日に至っています。
「明石海峡大橋」を通り淡路島へと渡り、この北淡震災記念公園のある小倉地区周辺を訪れてみて、わたしが真っ先に感じたことは、まだ全然阪神・淡路大震災は終わっていないんだ・・・ということでした。
もうあれから10年以上の歳月が流れているのに、未だに町ではあちこちで震災からの復興が続けられており、この北淡震災記念公園に向かう道の途中でも、その光景を目の当たりにしました。
この北淡震災記念公園は、この施設を訪れることにより、わたしみたいな震災に対して無防備な人間が、少しでも阪神・淡路大震災で起こった出来事に対して理解を深め、自分なりに真剣に向き合うことを促してくれるとともに、今後起こりうるであろう大震災に対して、その人なりの受け止め方や少なからず心の準備をする機会を与えてくれる・・・、そんな施設となっています。
忘れることのできない一日!
1995年1月17日、正月気分がやっと抜けた頃の早朝午前5時46分52秒に起きた、観測史上初めて「震度7」という揺れを記録した「兵庫県南部地震」。
北緯34度36分 東経135度02分、深さ16kmの、日本の標準時に近い明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の地震は、死者6434名、負傷者4万人以上、そして25万棟近くの家屋が全半壊するという、空前の大惨事を引き起こしました。
兵庫県南部地震に端を発した阪神・淡路大震災は、日本中の人々が、今まで見たことがないような光景に、驚きと悲しみを味わった出来事であり、未だ続く震災の傷跡に、深く心を痛める出来事となりました。
阪神・淡路大震災について、今さらわたしが多くを語る必要は無いと思います。
震災については、テレビや書籍にて、様々な角度から採り上げられましたし、実体験された方も数多くいらっしゃり、震災を経験していない人間が語っても、説得力が無いかと思います。
ただ、テレビの向こうで傍観者であったわたしでも、この日の出来事は、今でもはっきりと覚えています。
たまたま休日だった震災の日、朝起きてテレビから飛び込んできた映像に、着替えもせずに一日中釘付けとなっていたことを覚えています。
人生において、同じように生の映像に時を忘れて釘付けとなったのは、この「1.17
- 阪神・淡路大震災」と、2001年に起きた「9.11 - アメリカ同時多発テロ事件」の時だけでしょうか。
時間とともに次々に飛び込んでくる、600mにも及びなぎ倒された阪神高速道路、くしゃくしゃに潰れた阪急伊丹駅の駅舎、そして延々と燃え続けた長田地区などの映像は、映画の世界でしか見たことのないような衝撃的な光景であり、未だに目に焼きついています。
情報が入るにつれ、次々と被害状況を知らせるテロップの数字が上がっていく前で、何も出来ずにただ画面を見つめるだけだった自分を覚えています。
多くを学んだ!阪神・淡路大震災
この阪神・淡路大震災からわたしたちは、多くのことを学びました。
ライフラインの早期復旧の重要性、仮設住宅の早期建設、旧建築基準法下での木造家屋の危険性、トリアージタグの書式統一、政府の情報収集能力と危機管理体制の強化、緊急時の支援ルートの確保と周辺渋滞対策、日本中に隠れている活断層の再認識など、平常な状況下ではなかなか気付かなかった問題や、今まで目をつぶってきた問題が浮き彫りにされ、真剣に向き合うことが出来ました。
また、個人レベルでも、災害伝言ダイヤルの方法、簡易トイレの準備、ペットボトルの備蓄、カセットコンロのガス缶、手回し充電機能付きの懐中電灯やラジオなど、いざと言う時に何が役立ち何に一番困るのかを教えてくれました。
その後も新潟や石川など、震度6〜7という大地震が日本列島を襲っていますが、この阪神・淡路大震災から学んだことが、個人レベルでも行政レベルでも大いに生かされていると思います。
また、災害時のボランティア活動が、大々的に行われだしたのもこの阪神・淡路大震災がキッカケとなっており、このことは、後に1月17日が、「防災とボランティアの日」となったことからも、うかがい知れます。
国の天然記念物!野島断層
そんな阪神・淡路大震災の発端となった兵庫県南部地震は、全国に2000本以上あるとされている活断層のひとつである「野島断層」(のじまだんそう)が、主に動いたことによって引き起こされたとされています。
野島断層は、「六甲・淡路断層」の一部となっており、「江埼灯台」付近から富島地区にまたがる長さ9〜10qに及ぶ活断層となっています。
その野島断層が、地震の際に最大で水平方向に2.1m、上下方向に1.2m、同時にズレたことが記録されています。
このズレにより断層面が剥き出しとなった野島断層を、そのままの形で保存しているのが、北淡震災記念公園の中心施設である「野島断層保存館」です。
この野島断層保存館は、「断層を見ることによって、将来起こりうる大地震に備えて、少しでも防災・減災の意識を持っていただきたい」という趣旨のもとに建設され、長さ140mにわたって、野島断層そのものを建物で覆いつくし、現地現物保存しています。
この野島断層は、1998年7月31日に、野島断層保存館内の140mを含む延長185mが、国の天然記念物に指定され、岐阜県の「根尾谷断層」、静岡県の「丹那断層」とともに、断層を理解するうえで貴重な文化財のひとつとなっています。
約800坪にも及ぶこの野島断層保存館の入口をくぐると、まずエントランスに、国道43号線でトラックが横たわっている様子を再現した巨大な展示物が出迎えてくれます。
それに続き、阪神・淡路大震災をフラッシュバックさせる、象徴的な写真のパネルが次々に並んでいます。
そして、震災当時を思い起こさせる展示パネルに続く扉の向こうに、野島断層の現物保存を行っている「断層保存ゾーン」があります。
野島断層については、現地現物で見ていただくのが一番であり、ここで説明してもなかなか伝わらないかと思います。
パッと見ではわからんないドラマが、この展示には隠されており、地震前の情景を思い起こしながら、眼前に広がる現実を直視して頂けたらと思います。
一瞬にして上に0.5m、横に1.3m動き、側溝がくの字に曲がった道路、真っ直ぐ並んでいた木がズレてしまった生垣、二つに分かれる断層、地割れ、延々と続く断層のズレからあらわになった断層面・・・など、パネルの説明とともに、ひとつひとつ地震前と地震後の姿を確認しながら見て頂けたらと思います。
もし自宅の庭に断層が走っていたら・・・
断層保存ゾーンをゆっくりと進んでいくと、その先に「トレンチ展示」があります。
トレンチ展示では、断層面を掘り下げて、ガラス越しに断層の上に立てたり、野島断層の断面が見てとれるようになっています。
詳しい説明は、現地の解説を見て頂きたいのですが、素人でもパッと見で、逆断層(傾斜した断層面に沿って、上盤が下盤よりずり上がった断層)となっている野島断層の状態や、グレーの泥層である上盤と、下盤上部の盛土層、その下の黄色い三角形の砂層など、はっきりとした地質の違いが見て取れます。
ちなみに、深い部分に噴砂現象の起きた跡もあるため、このことから野島断層は、遠い昔にも活動していたことが分かっています。
そして、このトレンチ展示は、実にいろいろなことを問いかけてきます。
日頃、アスファルトやコンクリートの上ばかりを歩いていますが、その下の土が、これだけズバッと分かれている場所が、日本中あちこちに散在していることを、どれだけの人が意識しているのでしょうか。
子供の頃、庭に穴を掘っていくと、関東ローム層や砂層など、縦に堆積した層の変化は感じたりしましたが、隣りあわせで地質が変わるという感覚は、地学などの授業で知識として学んではいても、感覚としては持ち合わせていませんでした。
不動産などの物件探しでも、この辺は砂地だとか粘土質だとかいった、地区ごとのおおまかな地質の違いや、ノリ面での盛土や切土の状態、過去の埋設物などは気にしていても、その敷地内の地層の詳しい状態については、わたしを含め気にされる方は、まずいないのではないでしょうか。
ましてや、その土地に断層が走っているか否かなど、法的にも重要事項の説明責任はないですし、昔から住まわれている方でも、ほとんどの方が知らずに住んでいるのではないでしょうか。
そういうわたしも、今住む家の下に、断層が走っているかどうかなど知らないひとりですが、さらにそんなことを考えさせられる展示施設が、この野島断層保存館の建物の横に建っています。
メモリアルハウスで目に留まったもの・・・
野島断層保存館を出ると、その隣に一軒の民家が建っており、そこへと案内路が続いています。
日当たりの良い389坪の土地に建つ、陸屋根の2階建てのこの家が、「メモリアルハウス」と言われるもので、一階が50坪、2階が24坪の鉄筋コンクリート造の建物となっています。
野島断層近くで、被害が深刻だったこの地区にあって、震災を生き抜いたということから、メモリアルハウスと呼ばれるこの家は、建物の北側約1mのところを、野島断層が走っており、地震により約0.2m地盤が持ち上がり、約1.2mスライドしました。
しかしながら、耐震性に優れた鉄筋コンクリート造の家であったため、若干の開口部の歪と、基礎ごと家が傾きはしましたが、1999年1月まで、この家の住人は生活されていました。
正直、メモリアルハウス自体は、断層の真上に建っていたわけでもなく、また耐震性の高い家だったこともあり、建具の歪程度で、特に驚かされる内容ではないのですが、自宅の庭先にも活断層が走っているかもしれない?ということを考えさせられるとともに、展示されていたひとつの掲示物に目がとまりました。
震災に遭った子供たちの言葉が綴られたものなのですが、テレビや新聞で、今まで多くの被災者の声を耳にしてきましたが、メモリアルハウスで語りかけてくるこの文章には、重みがあり、ストレートに胸にくるものでした。

地震に限らず、台風や大雨などにより、今も尚多くの方が災害と戦って生きています。
いつどこでどんな災害が起きても不思議ではない現実を、改めて認識するとともに、多くの被災者が苦しみながらも乗り越えてきたその勇気を、自分も持ちたい!・・・と素直に感じました。
べっちゃない!
その他、この北淡震災記念公園には、阪神・淡路大震災を体感すべく、震災時に録音された生の効果音とともに、地震計の記録をもとに再現された兵庫県南部地震の震度7の揺れを、約40秒間体感できる「震災体験館」があります。
また反対側のブースでは、阪神・淡路大震災の記録映画も上映されています。
どちらも野島断層保存館やメモリアルハウスとはまた違った角度で、震災について向き合うことが出来るようになっています。
エントランスから外に出ると、野島断層保存館の向かいには、「レストランさくら」や「物産館Hokudan」があります。
そしてその横に、芝生の緑と三角形のモニュメントが印象的な「憩いの広場」があります。
通称「べっちゃない広場」と言われるこの憩いの広場は、地元の方言で「なんてことはない、大丈夫だ!」という意味を表す言葉を冠したピラミッド型のモニュメントである「べっちゃないロック」が池の中に建っており、地震に負けないという地元の方々の熱い想いが、ここに表現されています。
このべっちゃないロックは、彫刻家の「流政之」氏の作品で、震災により命を落とされた、地元の40人の方々の魂が眠る塚をイメージして制作されたとのことです。
何もかも失ってしまい、夢も希望も見失ってしまった時に、この「べっちゃない」のひと言が、どれだけ地元の方々を勇気づけ励みになったことか・・・、苦しい時こそ自分も強くありたいと、ここでも感じるしだいでした。
「北淡震災記念公園」が教えてくれたこと・・・
今回は、この施設のすばらしさが少しでもお伝えできれば・・・と思い記事を書きました。
この施設のすばらしさは、器や展示装飾はあるにせよ、模型や映像だけで阪神・淡路大震災の出来事を伝えたり、地震の恐ろしさを訴えるのではなく、現実に起きた現象そのものを保存し展示公開して体感してもらっているところです。
あの震災において、ほんの何秒の間に起きた出来事が、目の前にありのままに広がっていることにより、ストレートに語りかけてくるところです。
わたしは、地震による建物の倒壊や火災については、映像が派手なことや写真に多く残されていることから、日常目にする機会も多く、その恐ろしさについて多少なりとも理解しているつもりでしたが、地割れや断層のズレについては、知識としては持ち合わせても、実際に目の当たりにしたことがないせいか、なかなかその恐ろしさがわかっていませんでした。
いつも歩いていた散歩道が曲がり、真っ直ぐに並んだ生垣が横にズレ、自宅の塀も側溝も、すべてが一瞬にして同じように同じ方向にズレていくことが、こんなにも恐ろしいことか・・・ということが、この北淡震災記念公園を訪れてみて、はじめて理解できました。
地震の揺れで、塀が倒れたり家屋が倒壊したりすることは、それはそれで恐ろしいことですが、また造り替えれば、元に近い状態に戻すことは可能です。
しかしながら、地盤のズレは半永久的に戻りません。
その上にあったものの位置はもう戻りませんし、なによりもほんの数秒で、自分が立っているその足元が隆起し何mもスライドするということが起こりうることに、とにかく衝撃を覚えました。
ショベルカーやローリーなどの建設機械でならしたり、ただ風雨にさらされるだけでも、そのズレはいずれ消えて見えなくなるかもしれません。
でも、それは表面上のことであり、地盤のズレが消える訳ではありませんし、ズレを生じた断層がそこにあるという恐怖心は、永久に消えません。
今回の記事は、この北淡震災記念公園に関する直接的な内容が少ないかもしれません。
それは、やはり現地現物で現実を感じてもらうしかないように思えるからです。
神戸淡路鳴門自動車道のルートからは離れ、「淡路夢舞台」や「淡路島国営明石海峡公園」など、淡路島の東海岸の観光スポットからすると、地味でアクセスに難のある場所かもしれませんが、是非とも一度は、ご自身の目で震災の爪あとと正面から向き合って頂きたいと思います。
車をとめ、入口から入った時には、単なる観光気分でいたわたしでしたが、再びゲートを通った時には、すっかり変った自分がそこにいました。
一番地震が騒がれている静岡にいながら、長い間大地震にも遭わずにいられることに、改めて感謝するとともに、起きてしまったらしょうがない!その時はその時だ!では済まされない現実を、この北淡震災記念公園は教えてくれました。
| ■ 北淡震災記念公園 〜 星★聖 の ひとこと 〜 |
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是非とも「野島断層保存館」を訪れ、現地現物にて、現実に起きた震災の爪あとを、感じてみてください。 |
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